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Kuni Takahashi Photo Blog

フォトグラファー高橋邦典
English: http://www.kunitakahashi.com/blog

凍てつく湖

2007-02-09 19:41:53 | シカゴ
昨日撮った写真。

凍りついたミシガン湖のわきを、ジョギングするクレージーな輩。。。南極の風景ではありません。これがシカゴの冬。

日本に住む友人の話ではなんと東京は18度の暖冬で、桜まで咲き出したという!!!

なんともうらやましく思うが、しかしシカゴにもう20年以上住む先輩方がいうには、昔はシカゴの冬はもっと厳しかったらしい。今週のような極端な寒波が、以前はひと冬の間に何度も繰り返してやってきたという。ということは、こんなに寒いシカゴでさえ、昔に比べたら温暖化している、ということだ。

彼らから見れば、この程度で弱音をあげている僕なんぞ、なんともひ弱に見えるのだろうなあ。

またまた寒さへのぼやきブログになってしまい、失礼。






またまた極寒のシカゴ

2007-02-05 23:35:36 | シカゴ
また極寒の季節になった。

もうひたすら寒い。吹きすさぶ風が尋常ではない。いまこのブログを書いている午前8時現在の気温は摂氏マイナス20度、風を計算に入れた体感温度はなんとマイナス30度だ。

外を歩くときは肌の露出部を最低限にするために首から口にかけてマフラーで覆うのだが、どうしても眼だけは隠すことができない。自分のはきだす息がマフラーの隙間からに眼のほうにあがってくるのだが、昨夜、ほんの10分ほど歩いていただけで、まつ毛にかかった息が水滴になり、それが「凍りだした」!!!

ああ、シカゴの冬。。。。でもまあ今のところ雪が少ないだけましか、と自分をなぐさめる。

昨夜は案の定、ダウンタウンの酒場でタバコの煙にまかれながら、スーパーボウル観戦をするベアーズ・ファンが一喜一憂する様を写真に収めていた。ファンの声援むなしく、惜しくもベアーズは敗退。シカゴ・ファンのアメフト全米一の夢はビールの泡とともに消えていった。

こんなことを書くと、ファンから刺されそうだが、実は僕はほっとしている。

ベアーズが勝っていれば、シカゴでの優勝パレードが火曜日に予定されていたのだが、こんな寒空の下で何時間も外での撮影などたまったもんじゃない。スポーツ関係の撮影で、そこまで体を張って仕事をするだけの気力はないのだ。

昨夜酒場での撮影が終わり、5時間ほど外に駐めておいた車にもどってみると、中に置き忘れていたリンゴが見事に凍っていた。。。

(写真:悔しがるベアーズのファンたち)

選挙日に思うこと

2006-11-07 20:25:42 | シカゴ
今日は中間選挙の投票日で、僕も朝から候補者達の撮影で忙しかった。

中間選挙というのは、大統領選挙の中間にあたる年におこなわれる連邦議会選挙のことで、上院と下院の議員を選出するものだ。今回の選挙では、イラクの泥沼化によってブッシュの共和党への不信感が高まっており、民主党が前回の選挙で失った議席をかなり取り戻すと予想されているのだが、まあこの中間選挙自体のことはさておいて、アメリカにおける選挙権について、僕には日頃からちょっと心に引っかかっていたものがあった。

僕は現在、永住権保持者として(グリーンカード保持者)アメリカで生活し仕事をしているが、市民権をもっているわけではないので、選挙で投票する資格がない。

一般のアメリカ人と同じ税金を払い、国の財源に貢献しているにも関わらず、政治家を選ぶ権利は与えられていないのだ。僕は以前からこのことに関して少々不満を持っていたのだが、先日このことを友人に話したら、別に日本人という国籍をもっていて、ただアメリカに住んでいるというだけではそこまでの権利はもらえなくてあたりまえだと言われてしまった。逆の立場で、日本に仕事できて数年間住んでいるというだけの米国人が日本の選挙で投票できたらおかしいだろうと。。。

まあそれもそうだなあ、となんとなく納得してしまったのだが、考えてみれば、国民でないということは緊急時の兵役もないということだから、選挙権もない代わりにある程度の義務からも免除されているわけで、僕のような永住権保持者に選挙権も与えろというのはやはりちょっと無理な注文かもしれない。

アメリカで選挙の取材をするために感じるのが、一般市民の選挙に対する意識の高さだ。自分達の生活に直接関係してくるからという理由は勿論だが、若い頃から学校教育でも投票の権利や一票の重さというものをしっかり教えているので、日本などに比べるとはるかに一般市民の選挙に対する関心は高い。

投票日の夜は、テレビやラジオで開票状況が刻一刻と伝えられ、各候補者の支援者たちの集まるホテルのパーティー会場はお祭り騒ぎのようになるが、10代の若者たちから車椅子の年配者まで幅広い層が参加する。

いういう様子を目のあたりにしていると、日本の選挙がいかに一般市民の意識から抜け落ちてしまってるかがよく実感できて、ちょっと寂しくもある。

「誰が政権をとっても、同じことさ。。」そんなあきらめの声が聞こえてきそうだが、それは有権者自身に責任があるのではないだろうか。投票の棄権は権利の放棄であり、それによって国民のためにあるべき政治が、政治家のものになってしまっている。国民不在の政府、といわれるのも、そんなところから端を発しているんじゃないだろうか。

一人一人が、一票を通して自身の確固とした意思表示をおこなうことが生活改善のための第一歩だという意識をもって主権を取り戻せば、まだまだ日本を変えていくことも可能だと思うけれど、ちょっと甘いかな。

まあこんなことをのたまっている僕自身も、昨年ようやく在外投票の登録をしたばかりなので、とても偉そうなことは言えないのだけれど。。。










 

落葉の行く末

2006-11-02 11:59:01 | シカゴ
また寒い季節がやってきた。

夏人間の僕は暑いのはなんとかなるが、冬はつらい。特にシカゴの風は冷たく、肌を痛いほどに刺してくる。短い秋など感じる間もないように過ぎていってしまったようで、路上の木々からもすでにほとんど葉が落ちてしまった。

今日は仕事で「落葉の行く末」を撮ってきた。

この季節にシカゴ周辺の住宅地から大量に発生する落葉がその後どこへいくのかこれまで僕は考えてみたこともなかったのだが、今日の撮影を通して、市内から80キロほど西にある農場で細かく裁断され肥料として使われているということを知った。

はじめは「落葉の撮影なんて。。。」と全く乗り気ではなかったけれど、そのプロセスはなかなか興味深いものだった。

落葉は一度誰かに使用されたものというわけではないから、これをリサイクルとはよべるのかどうかは疑問だが、ただ燃やしてしまうよりは環境にもいいしずっと有意義な使用法だと思う。

数年前に異常気象とリサイクルのことを絡ませて記事を書いたことがあるが、この落葉の再生使用を撮りながら、ちょっとその記事のことを思い出した。
http://kuniphoto.com/kj0105_flood.html

環境にやさしいリサイクルをして、異常気象を防ごうというような内容だったのだけど、シカゴの場合冬の寒さはこれで当たり前なのだから、逆に異常気象にならない限り、僕にとって「過ごしやすい」冬にはならないわけだ。

異常気象を推進するわけにもいかないし、こればかりはあきらめて、厚手の靴下とジャケットを着こんで冬をしのぐしかないな。


長老カメラマン

2006-10-04 22:57:36 | シカゴ
昨日、サン・タイムスのジョン・ホワイトと話をする機会があった。

シカゴにはトリビューンの他にサン・タイムスというタブロイド版の新聞社があるが、ジョンはそこの長老(といったら怒るかな?)カメラマンだ。彼とは数ヶ月に一度仕事で顔をあわせるくらいなのでこれまで数えるほどしか会っていないのだが、その割には僕らはなかなか気があっている。

ジョンは1982年にピューリッツアーを受賞した、恐らくシカゴではもっともよく知られた報道カメラマンだろう。現在も現役で新聞社での仕事をするかたわら、週に2回コロンビア・カレッジでフォト・ジャーナリズムを教えている。若い頃の写真をみると精悍で鋭い顔つきをしているが、60歳を過ぎた今では(彼の正確な年齢は知らないんだけれど、まさか70はいってないよなあ)さすがに温厚で気のいいおっちゃんになったようで、仕事中いつもネクタイとジャケットを身につけている老紳士だ。

市長の記者会見の撮影で僕らは偶然一緒になったのだが、そのあとにお互い少し時間があったので、スターバックスで紅茶を飲みながら(蛇足だが僕も彼もコーヒーは飲まない)30分ほど一緒に過ごした。

それまでピューリッツアー受賞者ということ以外彼のことはあまりよく知らなかったのだが、生まれ育ったノースカロライナのことや、父親と2人の兄は教会の牧師であったことなど、いつもの穏やかな口調で話してくれた。

写真についてもいろいろ語ってくれたが、お茶をすすり一息ついた彼の口から、ふとこんな言葉がとびだした。

「今日の記者会見みたいに、仕事で撮らなきゃいけないものは勿論撮らなくてはならないんだけど。。。本当に、絶対に撮るべきことは、自分自身が撮りたいと思うものなんだよ。それを撮り続けなくちゃいけないんだ」

僕は彼のこの言葉を聞いて、思わず身震いがしそうになった。

彼の言っていることはごく当たり前のことで、僕に限らず、カメラマンならみな普段思っていることだろう。特に僕はここ数ヶ月納得のいく取材もしていないから少々気も滅入っていたし、撮りたいものを撮るためにこれからどうすべきか、というようなことはいつも頭の中で考えていることだ。

しかしすでに分かっているはずのそんな言葉が、淡々としながらも情熱を込めてジョンの口から語られたとき、僕はまるで心臓をぐっと掴まれたような強烈な感覚を覚えた。恐らく、彼の言葉は単なる理想論や頭で考えていることではなく、彼がそれを身を持って実践してきたという重みがこもっていたせいもあるだろう。多くの新聞社カメラマン達が、ある程度の年齢をこえて単に仕事をこなしているだけのぬるま湯に浸っている中、ジョンの体内にはまだ写真に対する情熱がほとばしっているようだった。

別に僕にとって何か具体的にどうすればいいというのが分かったわけでもないし、いいアイディアがひらめいたわけでもない。それでも彼の言葉はなんとなく希望というか、暗いトンネルに明かりがぽっと灯ったような、ポジティブな後味を残してくれた。

こういう人間には滅多に出合うことはない。これまでジョンとゆっくり話す機会をもたなかったことが少し悔やまれたが、逆に今だからこそ彼の言葉のありがたさが心に染みてくるのかな、とも思う。

ジョン・ホワイト。。。さすが長老、その人徳のおかげで、僕の興奮はオフィスに戻ってからもしばらく収まらなかった。







シカゴの五月

2006-05-17 17:44:26 | シカゴ
久しぶりにブログのアップをしなくては、とパソコンに向き合ったところで、バラバラバラッとただならぬ音が窓の外から聞こえてきた。

外をのぞくとなんと、雹が降っているではないか。直径5ミリくらいの氷の粒が、窓枠や路上に停めてある車に当たって激しい音を立てている。そして1分もたたないうちに、それはゴロゴロという雷とともに大雨になった。

ここ数日ずっと雨で肌寒い日が続いていたのだが、今朝は久しぶりによく晴れ渡った。気持ちよく半袖で外の撮影をしていたのに、それが夕方にはこの様だ。。。

5月のシカゴの天気はわからない。

そういえば去年のゴールデンウィークに、両親と妹が遊びに来た時もやたら寒くて、植物園で雹と雪に見舞われたっけ。

2週間前くらいには半そでで歩けるほどで、もうすぐ夏かなあ、なんて期待していたのだが、やっぱりそれは甘かった。

こんな具合だから、いまだに冬物のジャケットをクリーニングに出すことが出来ないでいる。


極寒のシカゴ

2006-02-19 09:10:55 | シカゴ
マイナス15度C。。。。今朝のシカゴの気温だ。

冷たい風が吹きつけるときに感じる体感温度はマイナス20度C以下にもなるという。。。極寒、である。

幸い今日は室内での仕事しかはいっていないので助かるが、こういう日に長時間外にいなくてはならない撮影のときはさすがにきつい。数年前にボストンでアメフトの試合を撮ったときもこのくらい寒かった。靴下を3枚重ねて履いていたにも関わらず足先はしびれるわ、鼻水は凍るわ、あげくに2台持っていたカメラのひとつがあまりの寒さに動かなくなった。おまけにシャッターを押さなくてはならないので、あまり厚い手袋をすることができない指先は凍傷寸前に。。。散々な思いをした。間違いなく僕がこれまで経験した中ではもっとも寒い中での撮影であった。

雪は頭痛のタネだし、寒いのも嫌だから、冬は苦手だ。自分は暑いのは結構平気だから、完全な夏型人間だと思っている。

それでも、冬の朝にドアを開け外に出たときの、あの冷たい空気が肌をさしてくる感覚は嫌いではない。空気も心なしか新鮮な気がするし、身もしゃきっと引き締まるような思いがする。もちろん、長時間外にいなくてはならない状況であれば論外だが、休日などに散歩にでる程度ならば、寒気のなかで頭を冷やすのも悪くはない、と思う。

ただ、今日のような極寒の日だと、歩き始めて5分もしないうちに鼻のなかまで凍ってきてしまうのが難点だけれど。。。

(写真:昨年の冬にシカゴのミシガン湖沿いで撮ったものをグリーティングカードにした。風で吹付けられた湖の水が巨大なつららとなったのが、これを見たときはさすがにたまげた)


雪のシカゴに。

2005-12-09 13:39:15 | シカゴ
空港につくと、ぴりぴりと肌に突き刺すような冷たい風が顔を襲ってきた。

前日のものがまだ残っているのだろう、地面は白く雪で覆われている。

一ヶ月半ぶりにシカゴに戻ってきた。

気温26度のアフリカから、マイナス4度のシカゴに急降下だ。

アパートに戻ると、部屋は出て行ったときのまま。何も異常はなかったようだ。建物が火事になったり、泥棒がはいったとしても、僻地で取材中の僕の耳には恐らく入ってこないだろうから、1ヶ月以上留守にしていると少しは心配になるものだ。

荷物を整理をしていると、雪が降り始めた。

子供の頃、恐らく誰もがそうであったように、僕は雪が大好きだった。
社宅団地に住んでいた僕は、庭で雪だるまをつくったり、雪合戦をしたり、真っ白な雪が空から降ってくるとわくわくしたものだ。

しかし、雪の多いボストンの生活を経て、僕は雪が大嫌いになった。

道路が渋滞する、路上駐車のスペースがなくなる、事故がおこりやすい。。。雪が積もると面倒なことばかりになる。吹雪がきて積雪量が増えると、埋もれた車を雪からかき出すのが大変な苦労になる。やっとこさ雪かきを終えても、雪は容赦なく降り続き、翌朝にはまた同じ苦行を強いられることになる。しんしんと降り続く雪を窓から眺めながら、僕はよく悪態をついたものだ。

シカゴに引っ越して、車庫のあるアパートを借りられるようになったので、とりあえず雪かきからは解放された。それでもやはり地面に積もっていく雪をみていると、心中穏やかではない。

雪そのものが嫌いなわけではない。

もし僕が休暇中で仕事をする必要もなく、何処かの山奥や田舎町でのんびり過ごしているとしたら、雪もまた違ったものに感じられるのだろう。しんしんと降る雪を眺めながら、暖炉のある部屋でくつろいだり、またはコタツに入って仲間と鍋などつついているとしたら、それはまたオツなものだと思う。

要するに普段の生活のなかで、雪のもたらす実害に我慢がならないだけなのだ。スキーなど冬のスポーツもしたことがなく、雪の降る時期にゆっくりと休暇などとれない僕にとっては(実際にアメリカに来てからの15年間、年末年始に日本に帰れたことなど一度もない)雪は頭痛のタネ以外の何者でもなくなってしまった。

午後10時半。静かに降る雪はいまも地面に積もり続けている。。。