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長谷川潾二郎(はせがわりんじろう)展

 NHKの日曜美術館で紹介された長谷川潾二郎(はせがわりんじろう)展を見たいというリクエストがあり、神奈川県の平塚美術館に出かけた。

 私の感覚では相模川を越えるということは、文明果つる地に出かけるということで、競艇や競輪で有名な平塚に美術館があるとは知らなかった。その上長谷川潾二郎という画家も知らなかったので全く期待しないで出かけた。

 カーナビに従って美術館の駐車場につくと入場待ちの車が列をつくっている。車のナンバーを見ると品川ナンバーやら横浜ナンバーが多い。それでも5分くらいで中に入ることが出来た。

 館内はそれほど混んでいなくて、インターネット割引券をプリントして持ってきたので入場料を600円払って展示室へ。

 館内のそこここに長谷川潾二郎の言葉が表示されている。例えば、

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 私は彼の言う通り目の前にあるものを描く。しかし、それは実物によって生まれる内部の感動を描くのが目的ですから、実物を描いている、とは言えません。つまり私が描いているのは実物ではありません。

しかし、それは実物なしでは生まれない世界です。

この間の事情は外部の人には一寸判りにくい所があると思います。一番重要なことは、描く前の心の在り方だ。

目前にあるものが美に輝く時、それは神秘の世界から現れた贈物のように見える。洲之内氏が私の画を「この世のものとは思われない趣さえある」と言う時、私の気持ちを他の方向から感知していると思う。私の考えでは、「この世のものとは思われない」のは目前の現実で、目前にある現実が、「この世のものとは思われない」ような美に輝いている事実です。

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 などを読むと、ちゃんと理解しているか自信はないが、なんとなく分かった気にさせるのがすごい。

 実際に絵を見てみると、私の好きな緑色がとにかくきれいである。それと白の表現もすごいと思わせる。紙袋の白、キャラメルの包み紙の白、テーブルの白、卵の白などの質感から長谷川の感動が伝わってくる。

長谷川潾二郎

 構図、特に静物画の構図もケレン味の無い無駄な要素を省いた、それでいて計算しつくしたのだろうという構図が心地よい。

 展示は6月13日(日)までだから機会があれば観に出かけることをお勧めする。そしてせっかく湘南を通り越して平塚まで来たのだから何かおいしいものを食べて帰ろうという向きには、橋を渡って茅ヶ崎に戻り、「ととや山口」の文明の薫り高い繊細な魚料理がおすすめだ。 


 
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