取り返すことも、取り除くことも出来ないことについて

2011年06月01日 | 社会

先週の木曜、5月26日まで日本に戻っていた。その後すぐにボン市での
デモと日独での脱原発を目指すスピーチの準備があり、時差を気にして
いる暇もなかった。6週間振りのドイツ。相変わらず、日本から遠く離れた
異国ではあるが、25年も過ぎれば自分の生まれた国よりも慣れ親しんだ所も
あるような気がする。





けれども、このドイツに戻ってからの一週間、毎日、自分の身に迫って
くるのは、日本とドイツの文化や風景の相違ではない。
頭の中を巡るのは大概二つのこと。一つには日独の社会と暮らしの構造の
基本的な違い。(両国とも奇跡の経済復興を遂げた国として並び称されるが、
それは表面的なこと。戦後65年間の社会的発展と歴史には大きな相違がある。)

もう一つは原発事故、放射能汚染が日常の生活の一部、もはや取り返す
ことも取り除くことも出来ない、自業自得の運命となった国・日本と、
それを経験せずに、風や雨や空気を当たり前に受け止め、野菜や水を普通に
口にする日常が送られている国との違い。

私達が受けた心の深層部への打撃、損なわれた心、精神の裂け目は相当に
大きいのかもしれない。意識と無意識の二つの層に関わっているように思う。
まだはっきりとした言葉にはならない。

絶望の話をしているのではない。醒めた目でも希望の話をしようと思う。
私達日本人が、この日本の社会、このような帰結に至った日本の戦後65年の
社会構造や日常を形成してきた支配的な価値構造を変えられるかどうか、
まだ分からない。
それでも、僕は自らの生き方を大切にし、幻想は持たずとも、心の中に
冷たい風が吹いていても、一人一人の生き方のみが微力ではあれ社会を
変えていくということを基本にしたいと思う。

今回日本に戻っている時に、折に触れて想い出していた作家、戦後の知識人が
二人いる。もし生きていたらば、福島の原発事故を彼らはどう捉えたのだろうか。
加藤周一も井上ひさしも、若い時から自分の精神や生き方にとって大事な知性、
戦後の日本人であった。

「日本の社会では、「みんなで渡れば恐くない」ということがよく言われます。個人が集団に参加するときには、その集団の価値を自分のものとして参加するもので、・・・
自分の意見よりも、みんなが言うことが正しいということですね。これは個人主義ではありません。それでは個人の自由がなくなってしまいます。
しかし、「みんなで渡れば恐い」ことだってあるのです。たとえば、第二次世界大戦に参加した日本、中国侵略を始めた日本がそうです。・・・
あれは「みんなで渡った」結果です。「みんなで渡ったから恐かった」のです。・・・

全会一致型でみんなが同じことをすることが正しくて、「みんなで渡れば恐くない」というのは真っ赤なウソです。そんなばかなことはありません。
ほんとうに恐い問題が出てきたときこそ、全会一致ではないことが必要なのだと私は考えます。それは人権を内面化することでもあるのです。
個人の独立であり、個人の自由です。日本社会は、ヨーロッパなどと比べると、こうした部分が弱いのだと思います。平等主義はある程度普及しましたが、これからは、個人の独立、少数意見の尊重、「コンセンサスだけが能じゃない」という考え方を徹底する必要があります。

(2002年6月6日、東京での講演会『学ぶこと 思うこと』に収録された
加藤周一さんの文章からの抜粋です。)


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