昨日のクリスマスイブ、僕達の小さな家族の風景。
ドイツの戦前の文筆家、ワイマール時代の社会世相を辛辣に突き刺す
風刺に始まり、ベルリンの頽廃的黄金時代の雰囲気を軽やかに
映し出す粋なシャンソンも何本も作詞したエーリッヒ・ケストナー。
社会への厳しい眼と人情味兼ね備え、ヒューマニスティックかつ
アイロニカルな精神に自ら潰れそうになっていた骨の芯からの
文学者だったエーリッヒ・ケストナー。彼だからこそ、
書くことの出来たドイツ児童文学の傑作、『飛ぶ教室」、日本でも
子供の頃の愛読書の一つだった方も少なくないかと思います。
戦前のドイツのギムナジウム、旧制高校の寄宿舎生活の生き生きした
描写と共に、昔からクリスマスの行事がどれほどドイツの人達に
大切なものだったのか、家族のつながりの結節点だったのかが
切々と伝わってきます。その精神の底流は、それから世界史上の
大きな戦争を幾つか経てもう80年以上も経った今も変わらず、
現代ドイツ人の暮らしの中に根付いているように思います。
さて、2016年12月24日の晩。
僕達夫婦の、ふだんは外で勉強している三人のすっかり大人ぽくなった、
独り立ちしてきた子供達も年末年始ということで実家に戻り、
来年2月には90歳を祝う皆の「オーマ」も今日は認知症もどこ吹く風、
元気溌剌、それはそれは愉しい、幸せな家族一同揃っての晩となりました。
一方でこんな時、僕はドイツでの生活がもう35年になろうとしているのに、
心の中はやっぱり家族の中で一人、ドイツの外で生まれ育った
外国人かなとも多少思います。
そんな背景もあるのか、もともと鈍感なのか、あるいはその両方なのか、
ともかく幼少期、思春期を母子家庭の長女として寂しく過ごすことも
あった妻が、自ら母親となって準備する家族のクリスマスに秘めた
深い想いが、どうしても肌感覚でしっかり感じ取れず、互いにバタバタ
したり、すれ違ったりして、各々哀しい思いをすることも少しあります。
それでも、今日はクリスマスイブ、妻が腕をふるった特別な夕食。
家族の宴たけなわ。僕達としては珍しいしっかりと伝統的なドイツの
ご馳走を楽しんだ後は、家族の贈り物の時間。
長男からは2015年、16年の二人の日本旅行、自転車の旅の
自作写真アルバム、次男からは日本の映画のDVD二本、
末娘からはビーガンの料理本とエスプレッソマシーン、
妻からは上質のセーター、義母からはベジタリアンの分厚い本格的な料理本、
そして其々に心のこもった手紙が付いていました。
父子家庭で育ち、その父親を一度も尊敬することなく、家に居ないこと
を常に福としていた自分には
「父さん、大好き.いつも有難う。いろんな時に自分の手本だよ!」
などと書かれると、心の中は涙ボロボロとなるのです。
子供達三人がここまで真っ直ぐに育ったのは本当に妻の広く
優しい心根のおかげだなあとつくづく有り難く思う瞬間です。
僕は日本の私小説はあまり好きではありませんが、今日はクリスマス、
ケストナーさんの『飛ぶ教室」を思い出しつつ、倖せなことは倖せとして、
自分のためにも、家族のためにも、こんな気持ちをしっかり
書き留めておこうと思いました。
ちょっと照れ臭い文章となりました。でも、ドイツ、そして多分、
ヨーロッパの他の国々でもクリスマスは本当に家族の幸せを祈るお祝いで、
サンタクロースや忘年会のメリークリスマスの帽子や、
苺のショートケーキとは全く関係のない大切なことなんだということも、
日本の友人や知人に少しでも伝えたいと思ったのでした。