冬の旅 - 浅草の街も今は薄闇の中

2016年12月07日 | 日本の「旅」

京都から日本の各地を巡る、次男と二人の冬の旅。
新潟三条で刃物の仕事を終えて、昨日は霙交じりの越後湯沢、そして
長岡の知人と再会を祝い、夜遅く最終の列車。
かって自分が生まれ育った東京浅草の町へ。

夜中に二人で散歩。人通りがすっかり絶え、しーんと静まりかえった
仲見世の中を抜け、亡き母の実家の傍を通り、子供の頃、夕飯の後に
いつも遊んでいた雷門の前ですっかり大きくなった息子と二人、夜の
記念写真。

そして翌朝、24階のホテルから望むスカイツリー、極東の島国に屹立
するバベルの塔から見下ろされた観音様。僕は言葉もなく、カメラの
シャッターを押し続ける。
 

この風景の中に僕のふるさとはもう一片もない。あるのは過去の記憶
の片割れにすぎない。その一つ一つの破片を辿るように、小学生の頃
の自分の通学路、遊び場だった観音裏の弁天山から仲見世の裏通りを
経て、松屋へ、新仲見世から浅草六区を経て二人でホテルに戻る。

「父さんは此処にはとても住めないな、どうやっても生きていける
場所ではないな」と言う父親のあらたまった言葉に、「何を今さら
当たり前の、当然のことを」とごくごく普通に首肯く22歳の息子。
僕もそれで良いと心の底から思う。確かにこの子達をこの化け物の
ようになってしまった、この東京で育てたいとは一度も思ったこと
はなかった。

僕の人生に決定的だった亡き母の面影も、かっての浅草の街も今は
薄闇の中。消え行く糸の先をたどるように、僕の追憶の中で綴られ
ていくのみだとあらためて思う。