「バルセロナへの小旅行 ー何も知らない街へ」その③

2015年05月19日 | ドイツ・ヨーロッパの「旅」

バルセロナの旅も3日目、4日目となりました。当たり外れはあっても
この街は「美食の街」というよりも「暮らしの中のデザインや食文化
が大切にされている街」だなと感じ始めました。
外来の旅人なので、日常の生活を覗くことは出来ませんが、外で食事
をしていても、街の中を散歩してもそんな風景があちこちに見られます。

例えば、昼の小さなビストロ。
トイレに行く途中の壁の照明、面白いデザインでした。



それで、出てきた料理もまた魚。
「日常の中の暮らしのデザイン」この街にはあちこちに
そんな意識が溢れているように思います。



公園を歩いても、目の前ですぐに役に立たないことに打ち込む
遊び心が感じられます。





「自分が楽しい!」、「暮らしのデザイン」、「日常の遊び心」
バルセロナはそんな表現が自然に浮かんでくる街です。
(でも、このシンガーはシャウト系のかなりの音痴でびっくりしました)

さて、下の写真は、旅の3日目にたまたま入った自然ワイン専門の
バル。
スペインのタパスの伝統料理をモダンにした感じ。
とても美味しかったです。



小さな生ホタテのオリーブ蒸し。



ミニレタスとグリーンアスパラのソテー。



生ハムにスライスしたアボカドとパルメザンチーズ。
どれも変にいじってなくて、美味しかった。

旧市街のレストランでの昼食。
カタラニアの伝統なのだろう。庶民的なバスタのパエリア。





パエリアとはいえ、リゾットと焼きそばの合いの子みたいな感じでした。
イカのいしるのような味付けが印象的でした。 

旅の4日目。
小雨の中、たまたま入った街中のカフェ。
近所の人達が仕事の前や後に愛用しているお店のようです。









うちの奥さんもすっかり気に入ったようで、なかなか席を
立とうとしませんでした。

散歩の最中、たまたま通りがかった街中の教会。
何百年も経った古いステンドグラスが見事でした。
(多分、建築史上、有名な教会なのだと思います。)





キリストの像でなく、アベマリアの優しい、たおやかな母性像が
中心にありました。 その違いはドイツや北ヨーロッパと異なった、
地中海沿いの人達の土着的な感覚や、それに伴う信仰心と関わりの
あることのように感じます。




 


「バルセロナへの小旅行 ー何も知らない街へ」その②

2015年05月18日 | ドイツ・ヨーロッパの「旅」

スペイン・カタロニア州・バルセロナの旅の2日目。
朝10時30分、旧市街のベジタリアン・カフェ。
月曜の朝なのにまだ誰も居ない。



ひよこ豆のムースに、トッピング用のざっくりと切ったきゅうりや人参。
この豆のムースも歴史的には、スペインの地中海沿岸部とアフリカ・チュニジア
などの海洋文化の交流に遡るものなのだろう。一方、ベジタリアンカフェとはいえ
味も何もない瓜のような胡瓜は、スペインの半ば工業化された大型ハウス野菜
の象徴だろう。現代のスペインやヨーロッパの若者のライフスタイルを表すような、
小さなカフェの一皿にも、過去の歴史と現在が共存している…
そんなことを一人考えていると、「パパのいつもの注意散漫、皆の輪から離れた
ぼんやり症が始まったよ」と妻や息子に笑われる。





何はともあれ、長い歴史を持った街の中に、今を生きようとしている、
カタロニア、バルセロナの若い人達の個性や彼らの生活感覚がよく
現れた空間だと思う。

 

朝食の後、市内の中心部に地下鉄で移動する。
長男はバイクでやってきて、バルセロナの中心部カタロニア広場で
合流する。
カタロニア広場のパノラマ写真です。

 

何キロメールも続くバルセロナの海岸線。
大学に行く長男達と別れて妻と二人、市内の歴史的中心部を散歩しつつ、
海岸の方に向かう。気持ちの良い風が吹いている。



潮風の吹く戸外の料理屋さんで、遅い昼食を取りました。





まずは地中海の海の幸のタパスの盛合せ。小さな小さなイカの、
しっかり味の天ぷらのようなフライがなかなか美味しかったです。



メインディッシュはスペイン料理定番のパエリヤ。観光客向けとはいえ、
なかなか本格的な感じがしました。







昼食の後、支払もそこのけでパエリヤの鍋が並んだオープンキッチンに
足を運ぶ。
若いコックさん達がパエリアを作る様子をじっと見ていたら、
「中に入っておいでよ」と声をかけてくれ、妻と一緒の写真まで
撮ってくれました。どうもありがとう!



昼から夜へ。
バルセロナの旧市街の一角。
パエリヤでお腹が一杯になった後は何をしていたのだろう。
ともかく夜が来た。
午後9時頃、レストランはまだガラガラだ。



僕達の夕食のスタートも午後11時頃から。
外の露地が小さな祝宴の場に姿を変える時。





料理自体は実に雑駁で、美味しくも何ともなかったけれど、
闇夜の中に浮かび上がる、小さな祝宴のテーブルは素晴らしかった。
不平不満を言う必要は全くない。

夜中の12時。
街の辻音楽師二人が何処からともなくやってきて、歌うのはバルセロナの歌。
きっとあまり上手くない二人だと思うけれども、息が合っていて、
とても楽しそうだった。 


 


「バルセロナへの小旅行 ー何も知らない街へ」その①

2015年05月17日 | ドイツ・ヨーロッパの「旅」

留学中の長男を訪ねて、妻と二人でスペイン・バルセロナへの初めての旅行。
ドイツ・デュッセルドルフからは飛行機で約2時間半ほどの距離、
着陸姿勢に入った飛行機の小窓からは地中海に面する、この古い街の
姿が目に入ってくる。もう初夏のような良い天気だ。



昔、35年以上前、まだ文学部の学生だった頃、ジョージ・オーウェルの
「カタロニア讃歌」の話を耳にしたことはあった。今思うと、70年代の
日本でも学生運動に関わった当時の若い人達にはインパクトのあった
本なのだろう。五木寛之の随筆の中でも、その本に触れた文章があった
ように思う。しかし、今の僕にはその頃の知識は殆ど無い。
むしろ思い浮かぶのは、現代のスペイン経済の不況や若者のとんでもなく
高い失業率、あるいはとんでもなく盗難の多い街だという噂などだ。
 
それでも、この街はカタロニアの文化とその長い歴史を語る街だろう、
そして、長男が半年の留学生活を送る街。今日からの数日が楽しみだ。



空港でビールを飲みながら小休憩、周囲の様子からも南の国に
やって来たのだな、と思う。



空港からのバスで早速バルセロナの中心部に向かう。
南ヨーロッパの夏。夜の8時といっても、まだ昼のように明るい。

バスから次々に写真を撮る。建築の面白さに思わず目を惹かれる。
フランスとイタリアを足して二で割ったような街の風景だ。






下の写真、不思議な建物だなと思い、シャッターを切ったが、
ホテルに着いてからガウディの有名な建築物だったということに気付く。

この後数日、バルセロナの街の何処を歩いていてもガウディの遺した
19世紀末頃の建造物や、それを支えたカタロニアのブルジョワジーの
見事な建築美、様式美に触れることになるのだが、それは全て後になって
分かったことだ。



バスで小一時間、夜九時前。長男のアパートのすぐ近くの小さなホテルに
到着する。初めて訪れたバルセロナの旧市街。
まさに何の知識もない街に着いたところだ。 





荷物を置いて早速外に出る。久しぶりに見る心が躍るような街の風景。
長男もウィーンから訪ねてきている彼女と一緒に迎えにやってきた。
この街で現代ヨーロッパの学生として、数ヶ月の日常を過ごした長男に
連れられて、旧市街の小道を辿る。



妻と一緒にタイムトリッブのような散歩をしながら。
思わず立ち止まってはじっと見つめてしまうような風景が次々に
目の前に現れる。



バルセロナの夕べ。人々が三々五々集まり、立ち止まり、あるいは
戸外のテーブルでワインを飲み交わす。
異国情緒の中に、南国の何も知らない初めての街の風景の中に、
幻想の中に突然、子供の頃の昔の浅草や夏の夕涼みの時間、石畳の風景
を見出すかのようだ。 



スペイン内戦もカタロニア賛歌も、23才の長男には遠い遠い過去の事
にすぎない。現代の日本の若者にとって、大正時代の日本が昔々の遠く
にあるのと同じようなことだろう。五十の半ばを過ぎた僕でさえ、
もはや漠然とした知識しか持っていないだろう。

けれども、この街には歴史を語る過去が、街全体が歴史を可視化する
オブジェあるいは大きなモニュメントのように、目の前にある。
妻や長男達がもうだいぶ先を歩き、角を曲がろうとしている。
僕は一人、夕闇の光の中、歴史が止まったような風景の中で考える。

日本の戦後70年は無条件降伏の敗戦自体を終戦と呼び、自らの過去を塗り潰し
消し去ってきた歴史なのだろう。高度成長と伝統日本の幻想的な共存を
歌う時代も随分長くなった。その虚構こそが多分、現代日本の新たな
伝統なのだろう。 



長男の下宿近くのビストロに到着。三人のフランス人が共同経営して
いるらしい。メニューの表紙からもバルセロナの歴史やアールデコへの
共感が伝わってくるようだ。

今日は両親の財布だから、と長男は久しぶりの肉料理を注文する。
数年前、沖縄、京都と三人で一緒に旅行した長男の彼女はこのところ
ベジタリアンからビーガンに移り、卵や乳製品も入っていない野菜料理
を目ざとく見つけて注文する。
それが下の写真、多分一番美味しい皿だったと思う。





野菜料理にしてもエスニックを自由に扱うのは、現代スペイン料理の
得意な分野なのかもしれない。
長男も彼女も今日は随分スペイン的な顔をしているなぁと、
写真を撮りながら思う。 



妻も本当に満足そう。



みんながそれぞれに愉しい、とても良い一晩だった。
僕は一晩ですっかりカタロニアファンになっている。


モーゼル川への小さな旅

2015年05月01日 | ドイツ・ヨーロッパの「旅」

2015年4月26日(日)
「モーゼル川を下りながら」

 

「ドロップハンドルの愛車を伴って、コブレンツから列車の旅。
自転車越しの車窓からはモーゼル川の春の風景が広がる。
近づいては遠のく川の流れ、葡萄畑、昔からの村々。
今日は何処に泊まろうか…」



さて、大正時代の三文小説家のような浪漫調でスタートしましたが
異国情緒には幻想はつきもの。
隣に座る、陽に焼けたTシャツ姿のドイツ青年の輪行車を眺めながら、
実際には僕一人、仕事の鞄とトランクを携えて退屈そうに二等車に
座っています。

折角の日曜日なのに、仕事で出張。
「家で久し振りの日誌を書いて、ノンビリと夕飯を作り、
夜は妻と二人で焚火でも見つめていたかった…」

あれあれ、やっぱり今日は何処に居ても三文小説家気分のようです。
ひとつ確かなこと、週末の経済活動は僕はあまり好きではありません。
それでも刻々と移り変わるモーゼル川の眺めは春の光の中で、
目を離せないほど魅力的なものです。




自宅を出て約4時間、ようやく今日の宿に着きました。
モーゼル川沿いのミュールハイム / Mühlheim an der Moselという
緑の多い村です。
ホテルは「白い熊 / weisses Bär」です。

 

春の若緑、夏の陽光、あるいは延々と続く錦秋の葡萄畑。
モーゼル川への旅、ドイツが好きな方ならお勧めします。
異国情緒には幻想がつきもの。シューベルトの歌曲が響いて
くるような風光明媚なところです。

こんなところでノンビリして、散歩したり、自転車に乗ったり、
夕方まで明るい空を見ながら、冷たい白ワインを楽しめば、
きっと人生の良い休暇だと思います。

僕もひと時、そんな気分で川を眺めています。







僕は本来はかなりのワイン党ですが、春から夏には時々、ビールを
飲みます。
特に戸外で夕方頃の景色を眺めながらだと実にいいなあと思います。

 

今日はまさにそんな感じです。


2015年4月27日(月)
「ワインテイスティングの午後」

今日は仕事の後、たまたま、モーゼルの名門ワイナリーで試飲をする
機会がありました。現代ドイツの白ワイン、モーゼルのリースリングの
今日の在り方を示す、非常に質の高い見事なワインでした。



建築デザイン、木のインテリアにも彼らの伝統を引き継ぎつつも、
その中に埋もれない革新への意気込みが感じられました。
日本でも知られているのかもしれませんが、Molitor という蔵元でした。

 

今日のモーゼルワインを代表する蔵元のテイスティングルーム。
現代ドイツのデザイン精神がよく伝わる、ぴしっと筋が一本通った
気持ちの良い空間でした。





 


2015年4月28日(火)
「ドイツの朝食」

モーゼル川沿いの村、ミュールハイムの小さなホテルの朝食のテーブル。

 

大きな窓から朝日が差し込み、川向こうの葡萄畑が目に飛び込んで
くるようです。朝食のもてなしにもホテルのオーナーの気持ちがよく
伝わってきます。食べることが大好きな方なのでしょう。

ドイツでは家庭でも日曜日の家族の朝食に心が弾むような、ちょっと
華やかなテーブルセッティングでご馳走をすることがしばしばあります。
日常の暮らしの中に根付いた素敵な食文化だと思います。

今日は昨日の雨が嘘のような良い天気です。



このモーゼルの村、ミュールハイムからデュッセルドルフまでは
列車だと乗り換えを含めて約3時間半、クルマなら2時間強の距離です。
朝早く出れば日帰りでも十分楽しめるところです。
帰り道、今年の夏にでも仕事抜きで遊びに来ようかと、妻に一本電話を
入れました。
 


古都ウィーン ー「今年の秋から、ここで勉強するよ!」

2015年02月28日 | ドイツ・ヨーロッパの「旅」

ヨーロッパの古都ウイーンを初めて訪ねた19歳の娘が、
「今年の秋から、ここで勉強するよ!」
と見せてくれたウイーン大学の伝統的な構内の写真です。



娘の幼馴染みの親友が勉強を始めたハンガリーの首都ブタペストを
訪ねてまず一週間。そして、そこから列車で2時間半のウイーンへ。
19世紀近代ヨーロッパの学問、芸術、音楽の中心地であった
この伝統の地に自ら身を置いて、これからの青春の時をここで
送ろうと、ひとり決心を固めて帰って来たようです。

僕は、若い頃に何度も読み返した加藤周一の自伝「羊の歌」の中に
描かれていた、第二次世界大戦後、1950年代前半の冬のウイーンの
幻想的な風景、後の妻となる恋人を訪ねてパリからの夜行列車で
雪降る古都にたどり着いた彼の姿などを思い出しながら、娘の
これからの話を聞いていました。

20代の前半に自分でも一人で何度か訪ねた街ウイーン。トゥーランドット
を初めて聴いたウイーンオペラの天井桟敷などが眼前に浮かび上がって
きました。
もう35年ほど前、
自分が右も左も分からないドイツで勉強を始めた頃
のことも思い出しつつ、今、三人の子供達がヨーロッパの各地で
一人一人の人生の道を歩み始めようとしていることを心から感じました。

だからこそ、僕と妻がこれからも出来ることの一つは、子供達三人が
何時でも何処からでも安心して帰ってこれる家族の地を此処に保って
いくことだと考えた次第です。



 

僕もあと10年くらいしたら、異国の土地に長い旅をして
「今年の秋から、ここで勉強するよ!」と言ってみたいと思います。
人生、元気、好奇心、冒険心はいつでも大事なこと!


ドイツの赤ワイン、葡萄の丘「アール地方」

2010年10月15日 | ドイツ・ヨーロッパの「旅」



先週の日曜日。秋晴れの一日、東西南北青い空。輝く太陽。
猫も杓子も繰り出す。浮かれ出す。
僕も妻と娘と連れ立って、ドイツの伝統的赤ワインの産地、
アール(Ahr)地方へ。

クルマで出かけるときは僕はいつも助手席。うちの「ママライン」の
ナビゲーター役。子供達も免許も持っていない父親は、coolの正反対。
口を揃えて「学校でも恥ずかしい」らしい。僕はいつでもどこでも
ワインやお酒が自由に飲める方がずっと良いと長年思ってきた。
しかし今こそ、老後に向かって免許を取ろう。三年後が目標。
子供達に先を越されてなるものぞ!





閑話休題。クルマもそろそろアールの村に着いた。デュッセルドルフ
からクルマで約一時間半。なだらかな丘陵地帯のアール地方は
ヨーロッパのワインの産地としては最も北限。ベートーヴェンの
生誕地ボンからもさほど遠くない。文献を調べた訳ではないが
「運命」の大音楽家もアール名産の赤ワイン、ちょっと薄口の
ピノ・ノアールを嬉しいにつけ悲しいにつけ、口にしたに違いない。

ピノ・ノアール、ドイツ語でシュペート・ブルグンダー。本家の
ブルゴーニュとはまたひとつ違う趣き。ドイツの赤。フランスの赤。
日本の誰かの詩にあったような気がするが、「みんな違ってみんな良い」。
(とはいえ、本醸造よりは純米酒、ブランドワインよりはオーガニック。)



(アール地方ではピノ・ノアール、フリュー・ブルグンダー
ドルンフェルダー、ポルトギーゼなどの赤葡萄種がある。)

10月中旬、ドイツでもフランスでも葡萄農家・ワインの造り手は今大忙し。
毎日、天気予報、お日様と睨めっこ。アールの葡萄畑でも北方の産地だけに
少しでも糖度を上げたい。「ヨーロッパの北限でも美味しいワインを作るぞ。」
僕も思わず肩入れしたくなる。





葡萄畑の散歩に出かける前に、まずは腹ごしらえ。沢山の観光客に
混じって早めのお昼。村の料理屋さんに飛び込み、まずは白ワインと
赤ワインを試してみる。まあまあ。アール名産の赤ワインで煮込んだ
牛肉料理も妻と娘と三人で分けて食べてみた。残念、がっかり、
大はずれ。(ドイツでも味の素のようなマギーや、各種の人工調味料は
スーパーや普通のレストラン、時々高級店にも満ちあふれている。)
どこの国でも観光客相手の料理屋はこんなものだろう。この地方は
ワインだけでなく美味しいものがあるだけに、しっかり場所を選ぶ
べきだった。





オーガニックはフランスよりもドイツ、ドイツ語圏のスイス、オーストリア
の方が日常生活の中でずっと普及しているだろう。それに応じて、ドイツには
オーガニックワインの造り手、蔵元が実に数多くある。日本では僕も大好きな
フランスの「自然派ワイン」がまず話題に上るが、ヨーロッパのオーガニック
ワインの中でもかなり特色の強い、個性的なものだと思う。僕はドイツ語圏の
オーガニックワインも実にすっきりしていて気持よく、愛好しているが、
日本ではあまり知られていない。そもそも、ドイツワインは日本では日陰の存在。
その上、甘口のワインと思われている。残念だなー。





そんなことを思いながら、アールのビオワインの造り手、リヒターさんの所に
向かう。途中でストリート・ミュージシャンが素敵な歌を歌っていた。最近、
日本ではこんな時すぐに「癒される」音楽など、不気味な表現を使うようだ。
あるいは「至福の瞬間、至福の味」。ライターやジャーナリストが好んで
使うのか、本や雑誌でよく見かける。僕の故郷、日本は、ヒーラーと七福神
大安売りの国になってしまったのか。アールのワインがどんなに美味しくても、
僕は「至福の瞬間、アールなう」などとは夢でもつぶやきたくない。

イカンイカン。妻にも娘にも興味も無ければ分かりもしないことを、また一人で
考えていた。チチンプイプイ。

続きは来週へ。さて、アールのビオワインは美味しかっただろうか。乞うご期待。




家族揃って「団欒の瞬間」なう!?

北ドイツ湖沼地方の旅・その6

2010年08月12日 | ドイツ・ヨーロッパの「旅」
小雨の降る中、一日中、湖と森の中を自転車で走った。
お昼は、山羊のチーズと全粒粉のドイツ風農民パン。
本当に美味しいチーズは本物のタクアンと友達みたいだ。
(どちらもその土地のオーガニックの素材だった。)





スープは「
ソリヤンカ」。もともとはロシア、東欧の方の料理。
ベルリンの壁が崩壊する前、旧東独で半年程働いた時、何処に
行ってもこのスープがあった。
工場の食堂、暗い冬の街の国営ホテル、
雪の中で次の接続を待ちながらの小さなレストラン。何処でも
メニューにはこのスープがあった。キュウリのピクルスやハムや
肉の切れ端がトマト味のソースの中でぐつぐつと煮込まれて、
油が表面に浮いていた。今でもその名前を聞くと、旧東独の
知人や友人との悲しい思い出が湧きおこってきて、切なくなる。
今日は妻と二人でそのスープをすすることになった。
当時とは異なり、具材がきちっとしていて、さっぱりした味だった。
20年が過ぎた。





食事の後は
手作りのハーブティー。(近くの野原や草原で摘んで来て、
そのまま干しただけのような味だ。ドイツには実にいろんな
種類のハーブティーがある。妻も子供達の授乳期には、お乳が良く出る
ハーブティーをこまめに飲んでいた。)
今日のポーションは超特大サイズ。スープ皿みたいなティーカップに
たっぷり入っていた。





さて、下の写真は今回の旅の宿、自然な素材と手づくりを大切にする旅籠屋/
ガストホーフ「TENZO」さんの朝食風景。
ドイツのパンは噛みごたえしっかり、
コッペパンでも色々な種類がある。
(穀物の種類、粉の挽き方、発酵の仕方、焼き加減、形、上にまぶしてあるもの等)
かたまりのパンにも色々なタイプがある。
奥さんのカタリーナさんは、この全てのパンをちょうどよい加減に温めて
出してくれた。本当に有り難いことだ。




北ドイツ湖沼地方の旅・その5

2010年08月11日 | ドイツ・ヨーロッパの「旅」

僕たちの今回の宿は「TENZO」と言う。長く住み続けたベルリンを
離れ、
カタリーナとマルクス、二人の夫婦がその中に彼らの人生の
意味を込めた。ドイツ語の枠をはみ出した名前である。





「TENZO」は改築前の旧い校舎の面影を残しつつ、石よりも土、
鉄よりも木を大事にしてつくられた旅籠屋、伝統的なガストホーフ。
しかし、伝統が本当に新しくなるときには、覚悟を決めた人の人生が
かかっている。できれば、この宿について、この二人についていつか
詳しく書いてみたいと思う。






ドイツの農家の古い伝統だった土壁の技術「レームプッツ/Lehmputz」
は戦後ほぼ途絶えてしまったが、20~25年程前、 当時の若い人達が
その復活を目指した。今振り返れば、これもドイツのオールタナティブ
とオーガニックの運動の一つだ。友人のイックスさんもそのパイオニア
の一人だったのだろう。

ガストホーフ「TENZO」の部屋のも全て土壁、厚いレームプッツで
覆われている。
レームプッツは室内の湿気を自然に調整し、清涼な空気を
保つ。まるで土が
呼吸をするかのようである。2年前に僕達もイックスさん
に頼んで、食堂と寝室を土壁に塗り替えた。本当に気持ちが良い。
実に良く眠れる。朝の目覚めも良い(お酒を飲み過ぎた時は別)。
わらを混ぜ込んで外壁に使えば断熱性も抜群。

技術素材に頼った最新の省エネ建築よりも、伝統的工法を現代に応用し
自然素材を大事にするBaubiologie・ビオ建築法に、僕は人間の心身
との融和性を感じる。これは実際に住んでみての実感である。
けれども、このBaubiologie はドイツでもまだ本当に小数派である。
是非、日本に紹介されて欲しい技術、建築思想だ。





上の写真は、カタリーナさんとマルクスさんが施主となって進めている、
内も外も土壁のレームプッツ・プロジェクト。友人のエキスパート、
粘土男のヴォルフガングさんが中心になって有志参加の実践セミナーも
平行して行っている。彼らのモットー。「自然素材の家。左官仕事は
自分でやるぞ!」


北ドイツ湖沼地方の旅・その4

2010年08月10日 | ドイツ・ヨーロッパの「旅」
今日は村祭り。教会の鐘の音はそろそろ始まりの合図だろうか。
夏服、サンダルの気軽な姿で、村の人たちも続々と集まってきた。
天を仰ぐ一人の男。七面鳥の冥福を祈っているのだろうか





朝から取りかかっていた七面鳥の丸焼き。だいぶ焼き上がってきた。村の子供達もめったに見る事がないのだろう。若いお父さんが熱心に説明をしている。味付けは注射針で塩水を注入するそうだ。
村祭りの昼食はセルフサービス。メインディッシュは焼きたて七面鳥丸焼きのスライス。ポテト、コールスロー、ライスのサラダ等、付け合わせは村の主婦たちの持ち寄り。気軽なドイツスタイル。




北ドイツ湖沼地方の旅・その3

2010年08月09日 | ドイツ・ヨーロッパの「旅」
8月初旬の夕方午後4時頃。
二人乗りのカヌーで「湖上の散歩」に出発。
日が暮れるまでには、ゆうにまだ5時間はある。
凪、湖面は鏡のように静か。水面に目を移すと小魚の群れ。







湖上の散歩、曇り空に太陽が覗きだした。
土壁・家具職人のイックスさん50歳。
オールタナティブ、オーガニックはアタマや理屈じゃない。
質素にシンプルに自分の時間を生きること。にこっ。





湖から上がって自転車で走る。
見渡す限りの牧草地、何処を向いても大空。
松の巨木が2本屹立している。
何の為だろう、特別な意味があるのだろうか。
異邦人の僕にはその広大さ、美しさしか目に入らない。




北ドイツ湖沼地方の旅・その2

2010年08月08日 | ドイツ・ヨーロッパの「旅」
メクレンブルク・フォアポンメルン州は、旧東独地域に属する北ドイツ
の一地方。のんびりとした土地柄。カヌーで湖から湖へと何日も旅を
続けることのできる、広大な湖沼地帯で有名である。
昔から人々の生活は農業が中心で、時計の針がゆっくり動いている。





到着して二日目で小雨の降る中、僕たちも一日中、湖と森の中を自転車で走る。
何百年も風の音を聞いてきた巨木達の向こうに湖が見える。 生まれて初めて見る
風景だ。それなのに懐かしさがこみ上げてくる。 人々は水の中の魚のように、
生まれたままの姿で泳いでいる。

ドイツのあちこちに旅してきたつもりだった。でも、こんな風景の中に
居たことがあっただろうか。湖は群生する葦に囲まれ、天空を行く雲の流れを
水面に映し出す。夕方の光がその色を刻々と変えていく。 大地が静まりかえる。
ドイツの詩人達の歌がかすかに聴こえてくるようだ。







北ドイツ湖沼地方の旅・その1

2010年08月07日 | ドイツ・ヨーロッパの「旅」
日本の長期滞在から戻って、翌日。デュッセルドルフから特急ICEに
乗って約4時間。ベルリン中央駅に到着。ガラスのドームに覆われた
現代建築と技術の殿堂。
中央部の巨大な吹き抜けの中を、透明なバイブ状のエスカレーターが、
上下三層に分かれた発着ホームを結ぶ。 旅する人達はこの書き割りの主人公
ではなく、脇役に過ぎない。巨大な利便性の中で、個人は匿名性の集合体となる。






ベルリンでローカル線の急行に乗り換え、プレンツラウ(Prenzlau)へ。 ほっとする。
夏休みや週末旅行の人々で車内は満員御礼、妻の隣で立ち続ける。
そろそろお昼時。ドイツのおむすびはコッペパン。
僕がかぶりつくと、お母さんと男の子二人の家族連れもそれに続く。
ドイツのバンは何でも、しっかりした噛み応え。






おむすびとコッペパン。粉食文化と穀物つぶつぶ文化、
ドイツ、ヨーロッパの味の基本はミルク、卵、肉、油、砂糖。
コッペパン(正式名はブレーティヒェン)にバターを塗って、
チーズかハムを載せる。それが茹で玉子やジャムになることもある。
そういえば、日本のおむすびも随分、洋食化したものだ。






ローカル線はえっちら、おっちら。一時間半遅れてようやく到着。
のんびりと走り去る列車を横目にしながら駅を出て、出迎えに
来てくれたイックスさんを探す。






今回の湖沼地方への旅は、友人の土壁職人、家具職人の
イックスさんを訪ねてのことだ。
イックスさん夫婦は6月に、この旧東独の湖の国に引っ越して
来た。彼らの新しい生活が始まろうとしている。






2年前の自宅の改築の時に知り合ったイックスさん。僕と同い年。
いつも飄々として、時々オールタナティブなのか、ただのノンビリ屋さん
なのか分からない時もある。
デュッセルドルフから十日間、トラクターで約700キロ。家財道具全てを
載せて新天地への移動。まずは打ち捨てられた小屋を改造して、自分達の
住まいとする。こんなに生き生きとしたイックスさんを見るのは初めてだ。
本当に嬉しいし、頭が下がる。