先日、「日本大判写真展」を開催している京都市美術館別館に行ったおり、すぐそばにある平安神宮を訪れました。
京都は雨模様とあって、松の内の最終日でしたが、人影はまばらでした。
左近の桜、右近の橘です。橘には寒さ除けの覆いがしてあります。

参拝を終えると急に雨脚が強くなりました。バスで帰途につくことにしました。停留所までの間に目についたものです。

先日、「日本大判写真展」を開催している京都市美術館別館に行ったおり、すぐそばにある平安神宮を訪れました。
京都は雨模様とあって、松の内の最終日でしたが、人影はまばらでした。
左近の桜、右近の橘です。橘には寒さ除けの覆いがしてあります。

参拝を終えると急に雨脚が強くなりました。バスで帰途につくことにしました。停留所までの間に目についたものです。

京都市美術館 別館で開催中の"『日本大判写真展』2020"を観に行きました。
「自由作品」と課題作品『花のある風景』。大判カメラで撮影した全倍サイズの臨場感たっぷりの作品がずらりと並んでいます。
どの作品を見ても絶景の中、大きな撮影機材を据えてシャッターを押している作者が感じられます。大判カメラの魅力を味わえる写真展です。
有馬温泉での朝食はホテルで頂くことのほか、たまに利用するのが金の湯の前にあるパン屋さん「パン・ドゥ・ボウ」で焼きたてのパンを購入し、その2階にあるカフェ「カフェ・ド・ボウ」で頂くこと。購入したパンはカットして2階のカフェに届けてくれるのです。
1月10日の朝、私は朝ビールでパンを頂きました。
1月17日(金)、神戸市中央区の東遊園地で「阪神淡路大震災1.17のつどい」が開かれました。私たちの大切なものを数多く奪っていった1995年1月17日 午前5時46分に発生した地震。あれから25年を迎えました。1.17の集いは、震災でお亡くなりになられた方の追悼と、震災で培われた「きずな・支えあう心」「やさしさ・思いやり」の大切さを次世代へ語り継いでゆく事を目的に早朝5時から21時迄行われました。
私は夕方17時30分から参加、17時からローソク再点灯がはじまり、「1995 きざむ 1.17」の文字はほぼ完成していました。
隣のビルには1.17の文字が・・・。ローソク再点灯をしている方も。
竹灯ろうには思い思いの文字が・・・。
午後5時46分から黙祷が始まります。
灯籠の前にいる人はしゃがんでそのときを待ちます。
年のせいでしゃがむのがつらいです、黙祷が終わって立ち上がりました。
献花された白菊です。
高羽小学校の生徒さんたちによる合唱が始まりました。
1月15日(水)、大阪市立美術館で開催中の"第30回記念 JPA展”を観に行きました。この展覧会は第30回 日本写真作家協会会員展と第17回 日本写真作家協会公募展を兼ねており、会員の作品と公募展の入選作品約500点が一堂に展示されているのです。
公募展の部門はA.「生活と文化」 B.「自然風景」 C.「創作」 D.[日本各地の災害と復興」です。
良い作品が多く、とても参考になる写真展です。
一昨日のブログの続きです。
夕食のシメは場所を移し「土山人」で・・・。飲み物は日本酒で。突き出しの昆布。焼き味噌が売り切れ(残念!)だったので梅キュウリ。
そば寿司とすだちそばでシメました。
1月7日(火)、1月度 信長公記を読む会がありました。出席者は19名でした。
テキストは巻十(7)松永謀叛并に人質御成敗の事 、8月17日松永久秀、久通親子が信長に叛き、信貴山城に立て籠もった。信長は松井友閑を遣わし、言い分と望みを聞かせたが、逆心を持っていたので出て来ない。そこで松永が差し出していた人質を成敗する・・・という段である。
*これまでも松永は信長に何度も敵対していたが殺していない。松永久秀を生かしておいた利、今回もすぐに攻め落とさなかったのはなぜなのか。信長にとって松永久秀の使い途があったのだろう。たとえば茶人としての久秀、あるいは久秀の所有している国宝級の茶道具?
*人質の殺害は「多門院日記」「兼見卿記」にも信長公記と同じ事が書いてある。
*人質(数え年14歳、12歳)の男子2名の分別が際立っている。当時の武士の子供にはこのような分別を教えたのだろうか。
*信長公記の著者太田牛一は信長の弓衆の一人で、信長が行った数万人規模の大虐殺には批判していないが、この部分では人質の最後を悼んでいる。他にも(たとえば荒木村重の縁者の最期など)若年の最期を悼む記述があり、牛一の人間味が顕れている。
*9月29日の段にほうき星出現の記述があるが、ほうき星は当時「不吉」「大事件の予兆」などととられていた。レジュメの「多門院日記」にもほうき星出現の記述がある。
1月9日(木)有馬温泉での夕食は「こぶし」で・・・。有馬温泉の愉しみにひとつ一つがここでお酒を頂くこと・・・。
寒い時期なのでビールは小ぶりのものを・・・、続いて日本酒です。
料理の数々小皿は菜の花のからし和え、タケノコの煮付け。続いて造り盛り合わせ。
アスパラガスの天ぷら。鶏の唐揚げ(撮影し忘れ)じゃこのおろし和え。
シメは別のお店ですることにしました。続きは明後日のブログで。
1月9日(木)、有馬温泉東急ハーベストクラブ「有馬六彩」に宿泊しました。空室状況を調べていたら空いていたので、急遽申し込んだのです。
まだ松の内とあって玄関やロビーにも正月の飾りが・・・。
翌朝、夜明け前から陽が昇るまで部屋から空や雲の色の変化を観察しました。6時47分、外はまだ薄暗いですね。
7時5分、日の出は過ぎたようですが色づいたのは高い雲のみ・・・、低い所の雲の色はいままでと同じです。
7時19分。前方の雲がバラ色に輝いています。
バラ色の雲の移り変わりです。
まずは高層の雲が
続いて遠くの雲の峰がバラ色に・・・、
最期に前方の低い雲が・・・。
1月4日(土)、いずもやで鰻を頂いたあと住吉大社に参詣しました。住吉大社は正月三が日の参拝者数は200万人以上と大阪では一番多くの人が参詣するのです。
三が日を外していったのですが境内は人も屋台も一杯です。
約3万坪ある住吉大社の境内には本殿が4棟もありまた、摂末社あわせて27社と広いため、どこに参拝するか迷いますよね。まずは第一本宮を参拝と列に並びます。
13時10分頃に並んだのですが列が全く動きません・・・?13時30分頃突然列が動き始めました。そして餅撒きが始まりました。
あとで調べるとちょうど4日の13時から踏歌神事が始まっていたのです。この神事は古くから朝廷で行なわれていた新年の行事で、大社に伝わる特殊神事の一つなのだそうです。そして神事後には餅撒き行事が行われます。この「福の餅」を授かると幸福を得るのだそうですが、当然私が並んでいた後までは飛んできませんでした。
やっと参拝を終え・・・。
境内でパチリ・・・。
「うどんや風一夜薬本舗」が生姜湯を振る舞っていたので頂きました。
気に入ったので、生姜湯と生姜飴を購入しました。
あまりに人が多く・・・、早々に住吉大社を後にしました。