K.テツのひとりごと

行動記録、趣味の話などを書いてゆきます

父の17回忌法要(広済寺にて)

2015年07月21日 | 日常のこと

4月19日(日)14時から尼崎の広済寺で父の17回忌の法要を行いました。広済寺は近松門左衛門の墓が有り、「近松寺」とも呼ばれているお寺です。

今まで回忌法要は私の自宅に広済寺の住職に来ていただき行っていたのですが、子供たちすなわち父から見ると孫が結婚したり、ひ孫ができたりと人数が増えたため、お寺の本堂で法要をさせていただいたのです。間際になって2家族の子供たちが手足口病になったため欠席。東京、埼玉、長崎からも集まり、子供2名を含み13名の出席で執り行いました。

広済寺と近松門左衛門のお墓です。

 

境内には蓮の花、睡蓮の花が残っていました。

 

本堂の様子。

 

法要の後は場所を移し塚口の「愛蓮」で食事会を行いました。記念写真を撮影した後またの再会を約して解散しました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都街歩き その1 京都駅~西本願寺

2015年07月20日 | 京都

7月12日(日)、9月に実施する写塾の日帰り撮影会の下見に京都に行きました。予定コースはJR京都駅から北西方面へ歩き四条大宮付近まで、コース場には西本願寺、島原、卸売市場、壬生寺などがあります。

集合場所は大阪駅と京都駅の2カ所にします。大阪駅は7,8番線ホームの京都寄り、京都駅は正面改札口の右側外国人向けInformation Center前にすることにましました。

京都駅から西本願寺方面へぶらぶら歩き開始です。

 

 

駅の西側の公園です。都会の孤独ですね。

 

どうしてもリフレクションが多くなってしまい・・・。

 

昔ながらの油屋産です。

 

西本願寺の南側。正興寺です。

 

やっと西本願寺の門前にやってきました。

 

続きは明後日のブログで。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

墓参

2015年07月19日 | 日常のこと

7月18日(土)、伊丹の法巌寺に墓参しました。7月20日が父の17回目の命日で、19日に17回忌を行います。

 

ちょうどお昼になったので、阪急伊丹駅ビルの出石そばのお店「花水木」で昼食をいただきました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中津商店街

2015年07月18日 | 日常のこと

先日Sさんの写真展を見に行ったついでに、中津商店街周辺をぶらぶら歩きしました。

商店街は開いているお店は少なかったですが、こんな七夕飾りが・・・。商店街にずらっと七夕飾りが飾ってある例が少なくないのですが、中津ではここのみ。小さなお子さんがいる家なのでしょう。

 

古い商店街は趣があります。

 

細い路地も・・・。

 

これは駅前の公園の一コマ。とても暑い日でした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

PRT研究会写真展

2015年07月17日 | 展覧会

7月15日(水)、奈良県文化会館で開催中の 第12回PRT(フォトレタッチテクニック)研究会写真展を見に行きました。奈良在住の友人K氏から開催情報をいただき見に行ったもの。

上の作品一覧表にあるように、会場には16名の方々のまたいろいろなジャンルの作品が沢山展示されています。まさにフォトレタッチの世界という作品もありましたが、さりげなく使ったという作品も沢山ありました。

19日には作者によるレタッチの説明があるのですが、所用のため聴きに行くことができません。とても参考になる写真展でした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

7月度暁月講座「中国古典に学ぶ会」

2015年07月16日 | 講座・会合

7月8日(水)朝、7月度暁月講座「中国古典に学ぶ会」に出席しました。出席者は23名でした。

開講の前に、8月30日(日)に実施される「高野山での日帰り研修会」の参加票が配布されました。

随縁済衆十綱目のうち、人の危急を救う大利を興建す の2綱目を読みました。

 

岡本元興先生のお話。

開創1200年を記念する主要事業として、天保14(1843)年に焼失した壇上伽藍の中門が172年ぶりに再建された。中門には持国天と多聞天の二天王が安置されていたが、火災のときのは救い出された。今回中門の再建に合わせ、平成の大仏師松本明慶師が現代ならではの作風に仕上げた広目天、増長天の二天王が新たに中門に安置されました。平成の中門には四天王が揃うことになった。四天王は配置される方角が決まっているのだが、今回は新しい佛像を前に、古い佛像を後ろに配置したので、通常とは異なっている。将来は並びが変わるのかも知れない。高野山への道も良くなり、九十九折りもだいぶ解消された。

②祇園祭りの蘇民将来のお守りの話~武塔神(ぶとうしん)と言う神さまが旅の途中、一夜の宿を求められ、裕福な弟巨旦将来はそれを拒みましたが、貧しい兄の蘇民将来は歓待しました。武塔神はこの歓待に報いるため、蘇民将来の子孫に末代まで災いがないよう茅の輪(ちのわ)を与えたという話。お守りは木製の六角形で『蘇民将来子孫人也 家門繁栄』と書かれている。夏の大祓の茅の輪くぐりや茅巻もこの故事から来ている。

③半夏生の花、片白草。上から3枚の葉が白くなるこの時期の花。建仁寺の両足院が有名で、この時期には公開される。

④七夕飾り~真竹の笹に織女へのお願いを書いた短冊を着ける。 ここから文月となった。もともとは乞巧奠(きこうてん)といい織女に対して手芸上達を願う祭であった。昔は短冊の代わりに梶の葉に書いた。

⑤祇園祭りとキュウリ~八坂神社の神紋がキュウリを輪切りにした形に見えるため、祭りの期間中にキュウリを食べないとされる習わしがある。キュウリを食べるときは縦に切る。

⑥花の話いろいろ 梅は花の兄、菊は弟。花期が長い椿と木槿を庭に植え茶花とする。菊は花期が一番長いので皇室の紋になっている。朝顔とショウブ。江戸系(小ぶりで色が良い)、肥後系(大きい)、伊勢系(絞り)。桐の花。五七の桐紋は皇室の副紋。鳳凰は桐の木に止まり竹の実を食べることから桐竹鳳凰紋は天皇の服に使われた。

等々先生の知識は止まるところを知りません。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

佐治はるみ 水中写真展「魅惑の海底」 

2015年07月15日 | 展覧会

7月9日(木)、7月8日(水)から中津にある 田中美百合ギャラリーで開催されている 佐治はるみ 水中写真展「魅惑の海底」 を見に行きました。

 

佐治さんは芦屋写真協会会員で、ダイバー歴30年、数々の賞を受賞されている水中写真家です。

会場には35枚の素敵な海中写真が展示されています。蒸し暑かった日でしたが、作品の前に立っていると自分が海に潜り、現場に立ち会っているかのような感に襲われます。すっと汗が引きました。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

屋久島 3日目 千尋の滝、焼酎工場

2015年07月14日 | 国内旅行

7月10日(金)のブログの続きです。屋久島旅行の最後のブログです。

6月26日(金)、屋久島旅行の最終日です。

本日は10時に出発ということで時間が有ることから、ガイドの早崎さんから教わった、9時からホテルから4,5分のところにある「屋久島環境文化村センター」へ。ツアー参加者全員が来ていました。お目当ては11m*20mの大型スクリーンに映し出される屋久島紹介映像。これはお勧めです。

10時にホテルを出発、宮之浦の「ふるさと市場」に立ち寄ったあと、観光は屋久島東南部にある「千尋(せんぴろ)の滝」。宮崎駿監督は屋久島に来るとよくこの滝を訪れたそうで、「千と千尋の神隠し」の題名の由来となった滝です。宮之浦からバスで約1時間の距離です。

千尋の滝の下流にある「トローキの滝」を車窓から見物。

 

千尋の滝の駐車場から滝までは徒歩5分ほど。その間に世界自然遺産地域をしめす表示板がありました。

 

これが千尋の滝。落差は80m。左側の花崗岩の岩盤は200mほどあるのだそうです。遠くからしか見ることは出来ませんが、滝と花崗岩板との組み合わせが素晴らしい滝です。大川の滝と同じくこの滝も滝壺からの水煙が雲となって岩盤沿いに上ってゆきます。

 

駐車場の上にある展望台からの見晴らしです。今にも雨が降りそうです。

 

昼食は安房の「杉匠」で名物トビウオの姿揚げでした。

 

昼食後屋久島伝承蔵(焼酎を甕づくりしている)で、製造工程の見学をしました。

 

ここで製造しているお酒は・・・。

 

酒造蔵から屋久島空港へ。3日間の屋久島旅行も終了です。心配した帰りの飛行機も無事に空港に着陸でき、伊丹空港への帰路につきました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

7月度 信長公記を読む会

2015年07月13日 | 講座・会合

7月7日(火) 10時から長公記を読む会がありました。出席者は20名でした。

開講前の砂川先生のお話は、日本に予備軍も含めると900万人もいる認知症を防ぐには脳に刺激を与えることが必要。本会合のような勉強会もいいが、俳句(俳諧)も良い。俳句の勉強には角川文庫の「俳句の歳時記」を読むのが良い・・・・。

テキストの三方原の合戦の最終部分を読み進めた。「清洲の具足屋(町人)が顔見知りの4人衆(武家)と一緒に切り回り、討ち死にした。」との合戦には重要でない文章を太田牛一がなぜ入れたかについて考察。

①太田牛一は弓の名手でこのような話は捨てがたかった。 ②同じ理由でこのような人が好きだった。 ③若者の死についての慰霊の気持ち。(紙碑)  

③については平家物語など軍記物語には 慰霊の要素が必ず入っているのだ。

三方原の合戦について、レジュメの各種地図や「当代記」、「三河物語」、「信玄の朝倉宛書状」等を読み、信長公記やそれぞれの資料の記述が、信憑性があるかどうかなどを検証した。三河物語に「この戦は上洛の前哨戦」の記述が目を惹いた。江戸時代にこのような説があったのだろう。

最後にレジュメ等を参考に信玄出馬の目的について考察した。 a.上洛説 b.遠江・三河確保説 c.信長打倒説 d.織田・徳川領侵攻説 があるが、砂川先生は「信玄の朝倉宛書状に信長滅亡の時機到来とあり、信長打倒説を採りたい」と仰る。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「致知」2015年7月号

2015年07月12日 | 雑誌・本

「致知」2015年7月号、読了しました。

表紙と特集記事の目次です。今月の特集は「生きる力」です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする