
風花や紅筆もちたる指しばし
紅さしてはなやぐ唇雪催ひ
胸の火を放つことなく夕霧忌
すこし遅ればせであるが1月7日は大坂新町の遊女、夕霧の忌日であった。
京都の島原の太夫となり、のちに大坂に移った夕霧はあらゆる技芸に通じ、
さらにその美貌で江戸の高尾、京都の吉野と並んで日本の三太夫の一人と
言われた。わずか22才で没した時は大坂中がその死を悼んだとか。
俳譜も嗜んでいる。
「ちごの親手傘いとはぬ時雨かな」
という句を残している。のちに夕霧にちなんで、近松門左衛門の名作浄瑠璃
「夕霧傾城鳴渡」が生まれた。
カットの挿絵は、風間完画伯作。『女ひと四季』(高橋治)より。
紅さしてはなやぐ唇雪催ひ
胸の火を放つことなく夕霧忌
すこし遅ればせであるが1月7日は大坂新町の遊女、夕霧の忌日であった。
京都の島原の太夫となり、のちに大坂に移った夕霧はあらゆる技芸に通じ、
さらにその美貌で江戸の高尾、京都の吉野と並んで日本の三太夫の一人と
言われた。わずか22才で没した時は大坂中がその死を悼んだとか。
俳譜も嗜んでいる。
「ちごの親手傘いとはぬ時雨かな」
という句を残している。のちに夕霧にちなんで、近松門左衛門の名作浄瑠璃
「夕霧傾城鳴渡」が生まれた。
カットの挿絵は、風間完画伯作。『女ひと四季』(高橋治)より。
夕霧なる遊女がいたなんて、初めて知ったことです。どんな美人だったのでしょう。風間完の絵が夕霧の面影を知らせてくれます。それに、「大坂」となっているのも嬉しいですね。
風花や紅筆もちたる指しばし
美人薄命のそこはかない風情が出ています。
風花や紅筆もちたる指しばし
江戸情調溢れた情景が浮かびます。この手はゆらぎ様の独壇場ですね。(拍手)
これから廓の一日が始まろうとする化粧の最中、紅を指しているとちらちらと白いものが鏡に。思わず手がとまり風花に見とれる遊女というところでしょうか。
短命に散った夕霧。あなたは、心底、胸のほのおを燃やしたことがあっただろうか。なかったに違いない。
この句を取らせていただきます。
まず、風間完の絵を観て、ドキッとしました。「雪女」を想像したからです。ゆらぎ様がどこかで、
「風間完の絵は、いいでしょう。女性を描かせると、と、とても清潔でいて、艶があります。」とお話しされていたことを思い出しますが、その時の絵には確かに同感しましたが、今度の絵はちょっと違う印象を受けました。その絵とともに、次の3句を拝見しました。
”風花や紅筆もちたる指しばし”
”紅さしてはなやぐ唇雪催ひ”
”胸の火を放つことなく夕霧忌”
どのお句にも、硬派ゆらぎ様とは別の面を見せていただきました。作者を知らなければ、女性の句と思ってしまったかもしれません。特に最初の2句には浮世絵の美人画の世界が想像されます。また、3句目は夕霧という遊女の身に己が身を重ねた人(男性でも女性でも)の句だと思われ、なかなか情熱的な句だと思います。
勝手なコメントをお許し下さい。
☆紅さしてはなやぐ唇雪催ひ
ゆらぎ様
どちらの句も素晴らしくて甲乙つけ難く、一緒にコメントさせて頂きます。絵画を嗜まれるゆらぎ様ならではの、色彩感覚、華やぎ、お色気が感じられ、情緒たっぷりの味わいを感じる素敵な句です。白魚のような細い指で、唇に紅をぽっとさしている姿は、想像するだけでも魅惑的です。江戸の高尾太夫、京都島原の吉野太夫は知っていましたが、浪花新町の夕霧太夫は知りませんでした。今、江戸の文化を勉強中ですが、太夫ともなればその当時の大名、大商人など、所謂お大尽の相手をするため、あらゆる妓芸は勿論、和歌、俳句その他の文学などの知識教養も相当身につけていたそうですね。遊ぶほうもかなりの知識教養がなければ、お金があるだけでは相手にもされなくなります。それにしても江戸時代、特に元禄以降ですが、政権が安定すれば封建鎖国時代でもかくも文化が栄えるのですね。幕末の頃には江戸は、パリ、ロンドンも凌ぐ程の人口もあり、文化レベルも決して見劣りしなかったとか。詳しく知れば知るほど驚く事ばかりです。もう少し進んだら、浪花の近松文学も勉強したいと思っています。
風間 完画伯の挿絵は新聞でよく存知ていまして、懐かしく拝見させて頂きました。
さて、
☆胸の火を放つことなく夕霧忌
の句ですが、美人薄命というだけではない、何か奥の深いものを感じますが、是非、ゆらぎ様の自句自解をお願いしたい所ですが・・?
早々のコメント嬉しいです。本当の事を言うと、橋口五葉の美人画(版画)に触発されて詠んだ句です。
「紅筆をもてる女」というのがあってそれからイメージをふくらませました。”指しばし”というのは、風花にみとれて紅を差す手が、しばし、とまる、という意味です。でも読み方をかえれば、紅筆をもつ女の命がはかない、とも読みとれますね。そのほうが、味わいがあるような気がします。ありがとうございました。
「風花」の句に過分なお言葉を頂き恐縮です。
時々、古い文学や故事にテーマをとって、それらを
詠み込んで遊んでいます。写生句よりも、こっちのほうが私には似合っているかも知れません。
「夕霧忌」の句の句意をずばり読みとっていただき、素敵なコメントを頂戴しました。ただただ、感謝です。ありがとうございました!
まあまあ! 勘のいい方ですね。こちらもドキリです。絵は、おっしゃる通り雪女の絵です。なかなか情景にうまくはまる絵や写真がなくて、あちこち探しました。この雪女なら、雪女郎という言葉もあるし、はかなく散る運命(さだめ)が共通するものがあろう、といういことで採りました。
今回の句は、すべて想像句です。興味深い題材に巡りあうと、あれこれイマジネーションをふくらませて遊びます。短編小説を書いているような気もちです。
夕霧忌の、「胸の火を放つことなく」には、いろんな思いを込めました。
お読みいただき、懇切丁寧なコメントをありがとうございました。
もう、お感冒の具合はよくなられたのでしょうか?
そんな時にも、いつもの丁寧なコメントをいただき、
本当に嬉しく思いました。想像でふくらませただけの拙い句をお選び頂き、ありがとうございました。
近松の浄瑠璃などじっくり読んでゆくと、趣のある表現があって、句の種として面白いです。
「胸の火を放つことなく」ですが、思う相手に伝えたいことがいえないもどかしさを感じ、胸の火をもやすところまで行かなかった思い出は、みなさんお持ちと思います。そんなことも句意には、込めてみました。
さて、誰のことでしょうか?