少し時計は戻りますが、先月吉野へ行き、桜と草餅を堪能してきました。昨年の12月皆と吟行をしたことを思い出しつつ、終日散策した。吉野の桜は年ごとに感銘が深まるような感じがします。今年は枝垂れ桜が、特に素晴らしいように感じ、句づくりもしばし忘れてしまいました。
深吉野の落下を追うて辿る径
参道を往きつ戻りつ花吹雪
逆光の水面やはらぐ花筏
草餅と和紙に太文字吉野山
草餅や絵画談義を延延と
四部咲の花に重たき昨夜の雨
壺にして一夜に開く桜かな
深吉野の花を纏ひて峯に立つ
深吉野の落下を追うて辿る径
参道を往きつ戻りつ花吹雪
逆光の水面やはらぐ花筏
草餅と和紙に太文字吉野山
草餅や絵画談義を延延と
四部咲の花に重たき昨夜の雨
壺にして一夜に開く桜かな
深吉野の花を纏ひて峯に立つ
花の美しさに惑い全ての吉野の桜を見ておこうとする作者の貪欲さに敬意を表します
草餅や絵画談義を延延と
花を見ながら草もちを食べて絵画談義をすると果てしがないので、いったい幾つの草もちを食べたのかしら?
深吉野の花を纏ひて峯に立つ
ロマンティックな句です。吉野を下りると花を纏うことが出来ないのが無常の世界です。
今年の吉野の桜は開花が遅れ気味でしたが、その分一斉咲きだし、密度濃く咲いたのかもしれません。くどいですが、枝垂れ桜が見事でした。
人のまばらな境内で花吹雪を見ていると去りがたく、つい戻ってしまいました。吉野と言えば草餅が名物。吉野を描こうとすれば如何に、花を描こうとすれば更に如何にするか。話は尽きない。中千本あたりの山際に立つと文字通り花の流れの中に立つことができ、移りゆくうたかたの時に浸っている感じがしました。
全山桜の花が咲き乱れ、折りしも落花盛んな時季・・。しかもそこが山深い吉野とくれば、西行法師ならずとも移り行く世の早さと、過ぎ行く季節の愛惜を感じますね!。「辿る径」との下五の措辞に、去年ご一緒致しました山道を想い出し、眼を瞑れば「ぱっと」映像が切り替わったような錯覚さえ覚えます。良い雰囲気と詩情があふれ好きな一句です。
☆参道を行きつ戻りつ花吹雪
金峰山寺、蔵王堂への参道ですね?。場所は違いますが嘗て、京都哲学の道で時折吹く山風の花吹雪に、あまりにも「非現実的光景」な詩情と自然の営みの中にあって、人間の営みなど小さい事に思えそのうち恐怖心に襲われた経験があります。移ろい行く季節を貪欲に堪能されましたね!。
☆逆光の水面やはらぐ花筏
季語「花筏」には、落花した花びらが水面に寄り集まったもの、或いは実際に花筏との水生植物があり、ホトトギス系では水生植物だけを「花筏」と認めるとの事。このあたりが悩ましいところですね!。小生はこの御句に、水面に浮かんだ桜の花びらの「花筏」が沢山出来て逆光でも眩しく無く、はなびらのやはらぎを詠われたものと解釈致しました。
☆壺にして一夜に開く桜かな
ほとんどの花の咲く植物は、切花にして壺に活けますと花の開花が早まるようですね!。今年の春は寒さが長く、桜のつぼみもじれったい程で、「少し灰をかけてみようかしらん」と思ったほどでした。「一夜に開く」との措辞に、何かのストーリー性を感じて素敵です。詠嘆の「かな」切れが素敵です。
☆深吉野の花を纏ひて峯に立つ
龍峯様の全句を通じて、去年吟行でご一緒に吉野へ出かけ、思い出を共有する句座の重要性を改めて思いました。この御句に、季節は変わっても皆様と一緒にその場へ同行しているような錯覚さえ感じます。身も心も桜漬け状態が素敵な一句ですね!。
四分咲ならば昨夜のかなりの雨に叩かれても散ることはなく、しばらくすればまた元気に咲き誇ることでしょう。力を内に秘めて耐え忍んでいる桜の花を思い浮かべることが出きます。
深吉野の花を纏ひて峯に立つ
何か決意を胸に秘めて直立している龍峰さんを想像しています。勇壮な感じがします。
小生も桜の咲いている吉野山を訪ねたかったのですが、今年は果たせませんでした。その代わりに丹波の吉野と言われる立雲峡へ行きましたが桜はかなり傷んでいるようでした。
5句も取り上げて頂き有難うございます。
昨年の皆さんと共に吟行に来たことを思い出しながら今回は桜の下を散策しました。今年の吉野は少し開花は遅れていたようですが、行った時は中千本辺りまでが7分咲きぐらいでした。それでも見事な花でした。
花筏はご指摘の通りです。ホトトギスでは花いかだは植物の名前なので桜の花びらの集合体の花筏は季題にはならないようですね。但し、この句ではかつら様の解釈の通りです。少し理屈ぽかったと思います。
それぞれの句に詳しい身に余るコメントを頂き有難うございます。
2句を取り上げて頂き有難うございます。
ご指摘の通り、四部咲の花は雨が降っても散らずにしっかり花は付いていますね。その様はいかにも重たそうでした。
吉野の花の下を散策していくと中千本までの途中で土手に出ます。桜の下で引き上げて来る風に吹かれていると、桜を満喫している至福の時をに浸っているひと時でした。
昨年は冬枯れの吉野でしたが、桜の満開の時を訪ねられたのですね。花吹雪の中を「往きつ戻りつ」されたそうで、桜の美しさを満喫されたことでしょう。花びらの散りゆく様の美しさを何と表現したら良いものかと思う時があります。
深吉野の花を纏ひて峯に立つ
深吉野だから、花を纏うと表現できるのでしょうね。「峯に立つ」と読み終えたとき、虚子の「春風や闘志、、、、丘に立つ」の句を思いました。他の句も吉野の桜の素晴らしさを素敵に詠まれて居られるのに感心いたしました。
2句を取って頂き有難うございます。
桜はいつの時も新たな感動を感じますね。吉野は何回行っても光景のスケールと花の数、上から奥千本までの時の変化と共に咲いている状態が変わり、楽しめますね。しかし、句としてその感動を読むのは難しい。いつも気楽にと自分では思うのですが。
どうも有り難うございました。