KCF的徒然草

KouChan's Factory管理人の心の叫びor反省文

父を看取る

2022-10-16 21:03:04 | 健康・病気
 今回は個人的には辛いですが、大事な話を書きます。
去る10月8日未明、父が永眠しました。
なお、葬儀は昨日(10月15日)家族葬にて行いました。

闘病についてはこのブログでも何度か書きましたが、父のがんとの戦いは、その数年前から始まっていました。
先月、前々回に入院した話を書き、病状は詳しく書けないとしましたが、じつはこの時点で、癌が肺にまで転移し、肺炎も発症しており、いつ急変してもおかしくない状況と医師から言われておりました。
しかし9月中は輸血や点滴のおかげもあって、会話もでき、リハビリによって体も手足を少し動かすこともでき、ひとまずは安心していましたが・・・。

亡くなる前日、10月7日は、それまでの暑かった日々から一転、大粒の雨が降る寒い1日でした。
朝、病院から突然、血圧がそれまでの半分以下になり、意識レベルが低下し、急を要する事態となったとの連絡を受け、母、そして弟夫婦も長野から駆けつけ、4人で面会することに。
病室の父は、もう会話ができなくなり、酸素マスクを装着し、苦しそうに息をする(眠っている?)状態。でも、耳や、体に触れているのは本人も認知しているというので、声をかけたり、体をさすったり、息が苦しそうであれば、ナースコールで看護師を呼び、痰の吸入をお願いしたり。
そんな中、時々、右腕を上げたり下ろしたりする動作を何度かしていた。こちらの声かけに反応をしているのかとも思ったが、ふと母が「釣り竿を動かす動作」ではないかと言った。釣りが好きで、昔はヘラブナ釣りの同好会にも入っており、最近まで気分のいいときは釣り竿や浮きの手入れもしていたくらいの釣り好きだったことを思い出した。

夕方、少し落ち着いた状況となったことから、病室の父に付き添って宿泊する母を残し、弟夫婦と一旦帰宅。
その数時間後の午後11時、母からの連絡で、血圧がさらに下がったとのことで、義妹に留守をお願いし、弟と二人で再度病室へ。
父の状態は見た目変わっていないようでしたが、心拍のモニタは昼閒見た数値からさらに下がっていた。
12時過ぎ、血圧測定を行ったが「もう測定できません」と夜勤の看護師さん。
それから1時間、とにかく声かけしたり、体をさする、手を握るのを続けていたが、いよいよ心拍もモニタ数値が目に見えて下がっていき、1時半に心拍ゼロの状態に。

午前1時38分、静かに息を引き取りました。
長い病苦から解放されてほっとしただろう、というのが、そのときの気持ちでした。

帰る身支度をするというので、一旦病室を出た待合室で、看護師から「葬儀はどこかお考えでしょうか」。何も考えていないと答えると、病院のほうから、葬儀社を紹介いただいた。すぐさま連絡していただき、1時間後の午前3時に病院へ来るという。

1時間後、身支度を終えた父は、苦しそうな表情から一転して安らかな顔に、服もチェックのシャツ、ベストを着て、ジーンズを履いていた。服は、事前に母が用意したもので、旅行の時に気に入って着ていたものだという。
葬儀社の方とは、霊安室でお会いし、家族葬で行うことと、父は葬儀まで葬儀社へ安置することとなった。午前3時15分、病院を出発。
父と別れ、3人で自宅に帰ってきたのは、朝4時近くでした。

この後のことは、次回まとめます。
コメント
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