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市電の史跡めぐり~パート1

2019-03-21 20:57:57 | まち歩き
 きょうは川崎市市民ミュージアムさん主催の「かわさき史跡めぐり-川崎市電の痕跡を探る-」に、参加してました。もちろん、前回お世話になったジオラマ工作教室や運転会同様、サポート、教える側として。

川崎市電は、1944年(昭和19年)に開業し、1969年(昭和44年)に廃止されるわずか25年間の営業でした。川崎駅前から日本鋼管前~桜本~塩浜を結び、当時の市営バス、トロリーバスとともに、主に工業地帯への通勤輸送に活躍しました。

その市電が1両だけ、桜本停留所にほど近い桜川公園に保存されている。まずはそこをめざし、スタートとなる南武線尻手駅から、

小田栄駅へ。この駅は、JRと自治体が連携して利用者向上を図った「戦略的新駅」の第1号という。

小田栄駅からは、徒歩移動。

途中で、市電通りを横断する。

30分ほど移動して、桜川公園に到着。これが今も残る川崎市電。

普段は施錠されているが、この日は管理されている方の立会いの下、中に入ることができた。

さらに言うと、現在この市電を管理されている方も、かつてこの市電に乗って通勤されていたという。

市電を見学した後は、桜橋停留所から、市営バスで移動。

終点塩浜の手前、入江崎温水プール前で下車。

右手のゴルフ練習場は、かつて夜光運河とつながっていた、船溜まりのあった場所。
右の駐車場になっている場所に、塩留橋の停留所があったという。

もうすぐ桜が咲きそうな気配。雨もやんで、雲間から日の光が差し込んでくると同時に、南風が強くなってきた。

今の汐留橋の上から見て、駐車場になっている場所は、かつての夜光運河。この運河の上に、市電の鉄橋が架かっていた。

ここからさらに道路に沿って歩いていくと、

塩浜のバス停のあたりに、終点の塩浜駅があった。今は重機の駐機場所のようだ。

塩浜駅は、京急大師線の当時の終点でもあり、川崎市電と合わせて、川崎の一大環状線の「ような」状態で運転されていた。

ここからは、接続していた京急大師線が、この塩浜まで延びていた当時の廃線跡をたどっていくのですが、そのはなしは次回へ。

(注)今回の写真は、事前の下見時に撮影したものも含まれます。
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