前回の補足、というか、ここからメインかと。
会場に来たばかりの時は人がほとんどいない。閑散としているかと思ってたら、
併設していたステージでスペシャルイベントの真っ最中。この時は篠田元一氏、浅倉大介氏、そして松武秀樹氏によるレアな楽器によるライブをやっていました。
実際にライブで動いていた松武氏のMOOG III-Cと、E-μUのモジュールシンセ。
浅倉氏が使用していたのが、ビンテージシンセの中でも激レアレベルの「Prophet10」。
ステージ中の写真はNGなので、紹介しているWEBページをリンクに貼ったが、単純にいうと、ビンテージシンセの有名機「Prophet5」を2段重ねて1台に集約してしまったもので、10音ポリ(5音ポリ×2)の分厚いサウンドと、どこかで聞き覚えのあるYMOサウンドが印象的だった。写真は展示されていたProphet5。
そしてこの日最後のスペシャルステージも拝聴。MIDI誕生に関わった音楽家たちのパネルディスカッションで、千住明氏、服部克久氏、そして、冨田勲氏が参加。聞き手は松武氏でした。
当初出席を予定されていた、ローランドの創業者で、MIDI誕生に大きく関わった、梯(かけはし)郁太郎氏は諸事情(!)により欠席。ステージの最後でビデオ出演されておりました。
やはりステージ最中の写真は動画含めNGのためありませんが、冨田氏の、MIDI誕生のころの裏話が最高に面白かった。冨田氏といえばその昔、日本で最初にシンセサイザーを輸入しようとして、軍事関係の機器と勘違いされて税関でひと悶着したはなしは有名だが、それに匹敵する内容で、とてもここで書ける話題ではないのであしからず。
楽器としてのシンセサイザーは、その歴史の中で、単純な波形(正弦波、矩形波など)を合成(シンセサイズ)することにより、既存楽器をシミュレートするところから始まり、自然音やそれまで聞いたことのない電子音をつくりだし、また発音数も1音(モノフォニック)から複数の音を同時にならせたり(ポリフォニック)、さらに電子楽器であることから、シーケンサーやコンピュータ(1枚目のローランドMC-8など)を使ってプログラム自動演奏もできるようになったが、それをもっと発展させて、あらゆるシンセサイザーを接続し演奏できるようになればと、楽器メーカ6社(日本:ヤマハ、ローランド、コルグ、河合楽器、アメリカ:シーケンシャルサーキット、オーバーハイム)が集まり、MIDI(Musical Instrument Digital Interface)規格の母体になるものを提案する。
1983年のNAMMショーで、この規格をはじめて採用した日米のシンセサイザーを接続し、通信の実証試験を行った。
その時に使われた、シーケンシャルサーキット製のProphet600(アメリカ製)と、
ローランドのJupiter6(日本)。お互いの楽器をケーブルで接続し、一方の鍵盤操作により、相手方の音を鳴らす。この実証実験の成功により、MIDI規格を持つ楽器であればデータひとつでどの国の楽器でも演奏が可能になった。
当初は(今も使われているが)このような太いケーブルで、端子も大きな5ピン端子が標準だったが
PC接続によるDTM(デスクトップミュージック)が普及すると、RS-232などの汎用シリアル通信できる機種も登場する。ちょうどこの時、自分はDTMを始めたわけで・・・。
その後USB用の通信ドライバが開発されたり、一番新しいところでは、Bluetoothによる無線通信できるドライバも開発されるまでになった。
自分は正直、MIDIがここまで続くと思っていなかった。データは8ビットで伝送速度も遅く、パラメータも128までしかなく、自然音を忠実に再現するには不足する、いつかはMIDIを超えた規格が登場してMIDIは消えていくのではという人もいたようだが、今や音楽だけでなく、ステージ照明の制御や映像メディアとのリンクも可能になったとのことで、廃れるどころか、今もそのまま使われているのを見ると、規格に先見の明があったと感じたわけで。
色々と勉強になったなぁ。
会場に来たばかりの時は人がほとんどいない。閑散としているかと思ってたら、
併設していたステージでスペシャルイベントの真っ最中。この時は篠田元一氏、浅倉大介氏、そして松武秀樹氏によるレアな楽器によるライブをやっていました。
実際にライブで動いていた松武氏のMOOG III-Cと、E-μUのモジュールシンセ。
浅倉氏が使用していたのが、ビンテージシンセの中でも激レアレベルの「Prophet10」。
ステージ中の写真はNGなので、紹介しているWEBページをリンクに貼ったが、単純にいうと、ビンテージシンセの有名機「Prophet5」を2段重ねて1台に集約してしまったもので、10音ポリ(5音ポリ×2)の分厚いサウンドと、どこかで聞き覚えのあるYMOサウンドが印象的だった。写真は展示されていたProphet5。
そしてこの日最後のスペシャルステージも拝聴。MIDI誕生に関わった音楽家たちのパネルディスカッションで、千住明氏、服部克久氏、そして、冨田勲氏が参加。聞き手は松武氏でした。
当初出席を予定されていた、ローランドの創業者で、MIDI誕生に大きく関わった、梯(かけはし)郁太郎氏は諸事情(!)により欠席。ステージの最後でビデオ出演されておりました。
やはりステージ最中の写真は動画含めNGのためありませんが、冨田氏の、MIDI誕生のころの裏話が最高に面白かった。冨田氏といえばその昔、日本で最初にシンセサイザーを輸入しようとして、軍事関係の機器と勘違いされて税関でひと悶着したはなしは有名だが、それに匹敵する内容で、とてもここで書ける話題ではないのであしからず。
楽器としてのシンセサイザーは、その歴史の中で、単純な波形(正弦波、矩形波など)を合成(シンセサイズ)することにより、既存楽器をシミュレートするところから始まり、自然音やそれまで聞いたことのない電子音をつくりだし、また発音数も1音(モノフォニック)から複数の音を同時にならせたり(ポリフォニック)、さらに電子楽器であることから、シーケンサーやコンピュータ(1枚目のローランドMC-8など)を使ってプログラム自動演奏もできるようになったが、それをもっと発展させて、あらゆるシンセサイザーを接続し演奏できるようになればと、楽器メーカ6社(日本:ヤマハ、ローランド、コルグ、河合楽器、アメリカ:シーケンシャルサーキット、オーバーハイム)が集まり、MIDI(Musical Instrument Digital Interface)規格の母体になるものを提案する。
1983年のNAMMショーで、この規格をはじめて採用した日米のシンセサイザーを接続し、通信の実証試験を行った。
その時に使われた、シーケンシャルサーキット製のProphet600(アメリカ製)と、
ローランドのJupiter6(日本)。お互いの楽器をケーブルで接続し、一方の鍵盤操作により、相手方の音を鳴らす。この実証実験の成功により、MIDI規格を持つ楽器であればデータひとつでどの国の楽器でも演奏が可能になった。
当初は(今も使われているが)このような太いケーブルで、端子も大きな5ピン端子が標準だったが
PC接続によるDTM(デスクトップミュージック)が普及すると、RS-232などの汎用シリアル通信できる機種も登場する。ちょうどこの時、自分はDTMを始めたわけで・・・。
その後USB用の通信ドライバが開発されたり、一番新しいところでは、Bluetoothによる無線通信できるドライバも開発されるまでになった。
自分は正直、MIDIがここまで続くと思っていなかった。データは8ビットで伝送速度も遅く、パラメータも128までしかなく、自然音を忠実に再現するには不足する、いつかはMIDIを超えた規格が登場してMIDIは消えていくのではという人もいたようだが、今や音楽だけでなく、ステージ照明の制御や映像メディアとのリンクも可能になったとのことで、廃れるどころか、今もそのまま使われているのを見ると、規格に先見の明があったと感じたわけで。
色々と勉強になったなぁ。
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