7月句会(15日)
兼題は七夕に関するもの
七夕と言うと、どうしても 短冊に書く願い事を思ってしまう。子どもの頃 書いていた願いとはぜんぜん違うけど 何歳になっても 夢や願いはあるものだ!
5月 地域の元役所関係の諸先輩方と 懇親会を開いたときのことを 突然思い出した。酒を飲みながら 70代80代の先輩たちは 定年まで仕事一筋に頑張り、その後10年20年と人生を謳歌して 満足の域に達しているように見えた。
もう 願いや夢は無いのかと思いきや なんのなんの・・・夢や希望を語る語る・・・・何とも頼もしい先輩たちだった!!
そんなことを思いながら作った句
① 七夕やまだ夢もあるこの歳で
月は年中 地球のわたしたちに 形を変え 配置を変え 時には 星を従えて 美しい姿を届けてくれる。 その美しい月を発見したとき 遠くに住む 息子たちはみているだろうか とふと思う。
② 息子一家遠くに住みて月見草
古民家畑で、夏野菜がどんどんでき始めた。ジャガイモをはじめとして、キューリ・ナス・ピーマン・玉ねぎ・ブロッコリー・キャベツにニンジン・・・それらを 蒸したり焼いたり 煮込んだり 生野菜だったり・・・・消費するのに忙しい
③ 採りたての野菜ばかりの夏料理(なつれうり)
さてさて 評価はいかに??
①「この歳で」という表現はいかがなものか? やっぱりね~汚いね~このことば 俳句的ではない。美しい日本語に置き換えられないものか?
②「息子一家」は6文字になる ダメだということはないけれど 5字に押さえられないこともない。
③「夏料理」を「なつれうり」とルビを打っていた。 どこかの誰かの 俳句で そう読ませていたのを ちょいと気どって 真似してみた。 すると~~「普通に なつりょうりと 読んでいいんじゃない!」と あっさり言われてしまった
ということで・・・・こうなりました
① 七夕やまだ夢もある古稀近し
② 子の一家遠くにをりて月見草
③ 採りたての野菜ばかりの夏料理
今回のお勉強
兼題が七夕ということで「余生の希い」と 詠んできた人がいた。「余生」ということばが いけないという。
人に 余生が あるのだろうかという。 余った命 余った人生 そんなものはない。人は死ぬまで 尊くて 活き活きと生きていく命であり 人生である というのだ。
確かに そう考えた方がいいのかもしれない。
死ぬその日まで 自分の人生を生き抜く覚悟を 持った方がいい。
そのためには 今 問題の認知症を避けることは無理かもしれないけれど 発症時期を 遅らせることは 努力でできるという。
そのカギは 食事と運動 だそうだ
そこで 新 座右の銘
わたしに 余生は無い 死ぬまで 生きる・・・・テヘッ