宿題は 3句。 その中に1句は「椿」が兼題である
椿 ツバキと 古民家に行くたびに 椿を探して歩くが まだ蕾は固く小さい。あの赤い落ち椿を思い浮かべるが、現実にはまったく落ちるどころか 青々とした冬の固い葉しか見えない。そうなると想像で作るしかないが~~これが貧弱なこと・・・まったくもって 思いつかないのだ
そして 無理やり作った句が
・ 忙(せわ)し日の 夕餉に椿 彩(いろ)を添へ・・・せわしい日の夕食は ついつい手ぬきで 粗末なものになってしまう。そこに椿を一輪飾ると とたんに華やかなシャレた夕食に早変わりする。という意味を込めて作った句です。
残り2句は 春の季語を使ったもの。季語集を見ていると 春来たるは立春、つまり節分の翌日らしい。だったら 節分に子どもたちが豆をまいて鬼を追っ払ったら 春が来る・・・そう思って2句目
・子ら泣きて 鬼追い払い 春来たる・・・それがどしたん??って言われるかな~~?
さてさて 残り1句 はるはる春春 呼べど叫べど句は浮かばず。俳句は自然の美しい日本の風景を・・・なんて言葉が浮かんだりして・・・古民家に行っては 山を見て・・・しかし現実は 掃除 食事準備 野良仕事に追われる毎日 滞在が数時間ときてるから 休む間もなく走るように家の中や畑を駆け回る現実。とても 美しい日本語を考えながら観る心の余裕などない私。
そうは言っても 期日は迫ってくるし~ 梅の木の下に投げてある枝や草を片づけているとき、梅を見ても 蕾は固いしな~~ でも句は作らなきゃあいけないし~~ と、またまた無理やり作った3句目です。
・白梅の花 耕やせし 鍬やすめ・・・梅の花に見とれてしまって、つい耕していた鍬を休めてしまったよ こんな意味で作りました。「しらうめの はなたがやせし くわやすめ」 575はこうなってしまうけど・・・
さてさて・・・皆さんの意見ですが・・・
・忙し日の 夕餉に椿 彩を添へ・・・誉められもせず くさされもせず むなしく スル~~。575の体はなしているが、俳句として 美しくなく 品もないようだ。忙しい日々を送っていては 美しい優雅な日本語は出てこないという証だろうな・・・仕方ない・・・
・子ら泣きて 鬼追い払い 春来たる・・・鬼追い払いは節分のことで冬に当たる。立春から春になる。冬から春になるという時間の系列は俳句では歌ってはいけない。それは短歌になるらしい。このことは 1月の句会で習ったらしいが、ピンとこなかった私です。だからこの句はよくないけど~~と、これまたスル~~。魅力あることばが入ってないと、手直しする意欲もわかないということらしい。ただ 仮名使いだけ、かろうじて直していただいた。
・白梅の 花耕せし 鍬やすめ・・・これは花を耕しているのか 花を 中七にくっつけているので意味が伝わりにくい。
と、いろいろ助言をいただきまして 次のようになりました!
・ 1句目 手直しする価値もないっていうことですぅ~~
・ 子ら泣きて 鬼追ひ払ふ 春来たり(この句も同上)
・ 鍬やすめ 白梅の香の 届きけり
さてさてさて 今日のお勉強~~
・時間を追った句は作らない。
・三段切れにならないようにすること。575それぞれのことばが名詞ばかりのことを言う。
・「くつろぎ癒す春火鉢」という句があった。くつろぎ癒すのは本人がそうであって、読み手の想像を固定してしまうので、この表現はよくない。
・聴く とか 言う とか、生のことばは、なるべく使わないようにすること。
今回は も かな? よく考えもせず 心から味わいもせず 無理やり575を 並べた句でして~~ やっぱり 自分で感動もせずに作った句は、当然のこととして、読み手に 共感も感動も与えないっていうことです。私の日常に もう少し 落ち着いた 風情のある 暮らしを 取り入れないと~~日本文化の俳句なんて できゃあしませんなあ~~
いつかできるようになるのでしょうか・・・疑問ですが・・・ここで投げだすのも悔しいし~~
トホホ