すでに皆さんご存じのことと思いますが、1月31日夕刻、
航空自衛隊小松基地を離陸した飛行教導群のF-15DJ(32-8083)が直後に消息を絶ち、
後の捜索で同機の一部が発見されるなどしたことから、墜落したと断定されました。

事故の当該機となったF-15DJ(32-8083)。撮影は12月の取材時
その後も空自隊員や海上・陸上自衛隊、海上保安庁に加え、地元漁協関係者の方々や
空自OBなども協力しつつ悪天候のなか捜索が続いていましたが、
2月11日と13日、搭乗していた2名の遺体が収容されたと、航空自衛隊が発表しています。
搭乗していたのは飛行教導群の群司令田中公司1佐と同群教導隊所属の植田竜生1尉でした。
飛行教導群については昨年12月に創立40周年を迎えており、
この機に『航空ファン』3月号でも特集を組んだばかりでした。
同じタイミングで航空雑誌他誌にも特集が掲載され、
そこで田中1佐は各誌のインタビューにも答えてくれています
(こうした事故が話題のきっかけになるのは非常に残念ではありますが、
田中1佐がインタビューでも触れている「影の部隊」である
飛行教導群を40周年を機に紹介できた点についてはよかったと思うようにしています)。
なお、誌面でも紹介していますが、田中1佐は2011~14年にかけて、
第11飛行隊ブルーインパルスの飛行隊長も務めており
(東日本大震災後、芦屋基地での移動訓練を指揮し、部隊が松島に帰還した際の隊長です)、
ファンの皆さんのなかにも田中1佐と接したことのある方も多いかと思います。
今回の取材の担当編集者も、仕事柄ブルー在籍時から田中1佐にはお世話になり、
またブルーの隊長を終えた後もひょんなきっかけでお会いする機会が多く、
その都度朗らかに声をかけていただきました。
今回の取材でも、インタビュー時以外にも他愛のない話にお付き合いいただき、
「オン・オフの明確な人」「全体を見渡して時に厳しく、
時に部下を思いやって明るく接する人」という印象をあらためて感じました。
また「ブルーは広報部隊であり、真摯に明るく国民の皆さんと接しなければなりませんが、
そういう立場であるだけに、隊長在籍中は取材していただく方々とは懇意になりすぎぬよう、
一線を引くよう気をつけていました」とも話しており、自分にも厳しい印象でした。

「にこやかに」との撮影リクエストに「飛行教導群では威厳を出そうとしているので、笑い方を忘れましたね」と苦笑
今回、取材で12月に部隊を訪問したばかりでもあり、
事故の一報を聞いたときには心が沈みました。植田1尉については
取材を含め直接の接点はありませんでしたが、志高く飛行教導群に着任され、
まだまだこれからの活躍が期待される立場でもあり、非常に残念な気持ちです。
また取材時も、過去に殉職された部隊の方々に対する思いや日ごろの訓練での安全管理など、
整備隊を含めた飛行教導群全体が事故に対して注意を払っていることが感じられ、
今回の一件を部隊全体が重く受け止めているのだろうと想像しています。
今後、墜落機の引き揚げ作業も予定しているとのことなので、
航空ファン編集部では拙速な事故原因の推測などは避け、今後の調査の推移を見守り、
航空自衛隊としての正式な結果が出た際に、誌面上で報じたいと思います。
あらためて田中公司1佐、植田竜生1尉のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。(神野)

12月18日、小松基地で行なわれた飛行教導群40周年式典での記念撮影
航空自衛隊小松基地を離陸した飛行教導群のF-15DJ(32-8083)が直後に消息を絶ち、
後の捜索で同機の一部が発見されるなどしたことから、墜落したと断定されました。

事故の当該機となったF-15DJ(32-8083)。撮影は12月の取材時
その後も空自隊員や海上・陸上自衛隊、海上保安庁に加え、地元漁協関係者の方々や
空自OBなども協力しつつ悪天候のなか捜索が続いていましたが、
2月11日と13日、搭乗していた2名の遺体が収容されたと、航空自衛隊が発表しています。
搭乗していたのは飛行教導群の群司令田中公司1佐と同群教導隊所属の植田竜生1尉でした。
飛行教導群については昨年12月に創立40周年を迎えており、
この機に『航空ファン』3月号でも特集を組んだばかりでした。
同じタイミングで航空雑誌他誌にも特集が掲載され、
そこで田中1佐は各誌のインタビューにも答えてくれています
(こうした事故が話題のきっかけになるのは非常に残念ではありますが、
田中1佐がインタビューでも触れている「影の部隊」である
飛行教導群を40周年を機に紹介できた点についてはよかったと思うようにしています)。
なお、誌面でも紹介していますが、田中1佐は2011~14年にかけて、
第11飛行隊ブルーインパルスの飛行隊長も務めており
(東日本大震災後、芦屋基地での移動訓練を指揮し、部隊が松島に帰還した際の隊長です)、
ファンの皆さんのなかにも田中1佐と接したことのある方も多いかと思います。
今回の取材の担当編集者も、仕事柄ブルー在籍時から田中1佐にはお世話になり、
またブルーの隊長を終えた後もひょんなきっかけでお会いする機会が多く、
その都度朗らかに声をかけていただきました。
今回の取材でも、インタビュー時以外にも他愛のない話にお付き合いいただき、
「オン・オフの明確な人」「全体を見渡して時に厳しく、
時に部下を思いやって明るく接する人」という印象をあらためて感じました。
また「ブルーは広報部隊であり、真摯に明るく国民の皆さんと接しなければなりませんが、
そういう立場であるだけに、隊長在籍中は取材していただく方々とは懇意になりすぎぬよう、
一線を引くよう気をつけていました」とも話しており、自分にも厳しい印象でした。

「にこやかに」との撮影リクエストに「飛行教導群では威厳を出そうとしているので、笑い方を忘れましたね」と苦笑
今回、取材で12月に部隊を訪問したばかりでもあり、
事故の一報を聞いたときには心が沈みました。植田1尉については
取材を含め直接の接点はありませんでしたが、志高く飛行教導群に着任され、
まだまだこれからの活躍が期待される立場でもあり、非常に残念な気持ちです。
また取材時も、過去に殉職された部隊の方々に対する思いや日ごろの訓練での安全管理など、
整備隊を含めた飛行教導群全体が事故に対して注意を払っていることが感じられ、
今回の一件を部隊全体が重く受け止めているのだろうと想像しています。
今後、墜落機の引き揚げ作業も予定しているとのことなので、
航空ファン編集部では拙速な事故原因の推測などは避け、今後の調査の推移を見守り、
航空自衛隊としての正式な結果が出た際に、誌面上で報じたいと思います。
あらためて田中公司1佐、植田竜生1尉のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。(神野)

12月18日、小松基地で行なわれた飛行教導群40周年式典での記念撮影
那覇基地の航空祭でお話したことと写真を撮らせていただきました。
テレビドラマ「空飛ぶ広報室」の最終回に出演されてましたねとお尋ねしたら照れてました。
優しい笑顔の方でした。
今月号の特集で、あの時の隊長さんだと懐かしく
思い出していたのですが、まさかその直後に
こんな事態になるとは思いもよりませんでした。
大変残念です。
田中公司1佐と植田竜生1尉のご冥福を心から
お祈り申し上げます。