『航空ファン』3月号P.122~123で紹介していますが、2013年5月に
米海軍/海上自衛隊厚木基地の地下で発見された旧日本海軍機のものと思われる部品が、
12月17日に同基地で報道陣に公開されました。
今回発見された部品は、厚木の第302海軍航空隊に所属していた夜間戦闘機「月光」の
右主翼前縁スラット(外側)と思われ、今後基地の史料館に展示される予定ということですが、
誌面では残念ながらモノクロページでの紹介だったので、本ブログでは
カラーで写真を掲載しておきたいと思います。

まずはタイトル写真として掲載してあるものと同一カット。画面手前(左側)が外翼方向で、
上面が床(シート)側を向いた、裏返しの状態です。

こちらは誌面未掲載の月光の右主翼の写真。アメリカのNASM(国立航空宇宙博物館)所蔵の
機体をレストア中の写真で、前部を下に向けて立てられた状態。
外翼側に張り出しているのがまさに今回発見された部品と同一形状の前縁スラットで、
スラットからは主翼本体につながる支柱が出ているのが分かります。


上の2枚は海上自衛隊第4航空群提供の、発見現場での写真。地下壕の地面部分には
泥が堆積しており、前縁スラットは支柱が残っていた内翼側はその泥の上に浮いたかたちで、
内翼側は支柱が折れて泥に埋まったかたちで発見されました。
写真2枚は上段が内翼側を手前に見た地下壕入り口側からの撮影、下段はその逆からで、
外翼側が泥をかぶっているのが分かります。
なお、上段写真手前に写っているのは水のペットボトルと日本酒のカップで、
発見された航空機部品とかかわった当時の人々に対する鎮魂の気持ちから
海上自衛隊第4航空群で置いたものだそうです。
発見された5月の時点では地下壕内はかなり蒸し暑く、湿度も高い状態だったそうで、
鉄製の支柱は当然錆びており、外翼側は折れてしまっていました。また地下壕内の
大気に触れていた内翼側スラット本体も、ジュラルミン製にもかかわらず
かなり腐食が進んでいました。
一方で泥に埋まっていた内翼側は比較的程度のいい状態で発見され、
水で泥をていねいに落とすと、その下からは月光本来の機体色である
濃緑色がしっかりと浮かび上がってきました。

スラットの後縁部分には枕頭鋲が埋まっているのも、写真で分かります。
厚木基地の地下には巨大な地下格納庫があり、戦後も旧日本軍機が眠っているという
噂は航空機ファンの間で有名ですが、今回の月光の部品発見のニュースに
「あの噂は本当だったのか!?」と編集部内も色めきたちました。
しかし実際に発見された地下壕は横幅は2m弱、高さも人間がかがんでしか歩けないほどの
低さで、航空機を格納できるような規模ではなかったそうです。
今回、なぜこの地下壕に前縁スラットが置かれていたのか、予備部品としてか
放置品としてなのか、そして地下壕を掘った目的などについても、
詳細な記録は残されておらず、まったく判明していません。
ただ、戦後70年近くを経て、第302海軍航空隊の名残でもあるこの部品が
地下から発見されたことは、第二次世界大戦を実際に経験した世代の方々が
減りつつある現代に、なにかメッセージを届けてくれたような気もします。
米海軍/海上自衛隊厚木基地の地下で発見された旧日本海軍機のものと思われる部品が、
12月17日に同基地で報道陣に公開されました。
今回発見された部品は、厚木の第302海軍航空隊に所属していた夜間戦闘機「月光」の
右主翼前縁スラット(外側)と思われ、今後基地の史料館に展示される予定ということですが、
誌面では残念ながらモノクロページでの紹介だったので、本ブログでは
カラーで写真を掲載しておきたいと思います。

まずはタイトル写真として掲載してあるものと同一カット。画面手前(左側)が外翼方向で、
上面が床(シート)側を向いた、裏返しの状態です。

こちらは誌面未掲載の月光の右主翼の写真。アメリカのNASM(国立航空宇宙博物館)所蔵の
機体をレストア中の写真で、前部を下に向けて立てられた状態。
外翼側に張り出しているのがまさに今回発見された部品と同一形状の前縁スラットで、
スラットからは主翼本体につながる支柱が出ているのが分かります。


上の2枚は海上自衛隊第4航空群提供の、発見現場での写真。地下壕の地面部分には
泥が堆積しており、前縁スラットは支柱が残っていた内翼側はその泥の上に浮いたかたちで、
内翼側は支柱が折れて泥に埋まったかたちで発見されました。
写真2枚は上段が内翼側を手前に見た地下壕入り口側からの撮影、下段はその逆からで、
外翼側が泥をかぶっているのが分かります。
なお、上段写真手前に写っているのは水のペットボトルと日本酒のカップで、
発見された航空機部品とかかわった当時の人々に対する鎮魂の気持ちから
海上自衛隊第4航空群で置いたものだそうです。
発見された5月の時点では地下壕内はかなり蒸し暑く、湿度も高い状態だったそうで、
鉄製の支柱は当然錆びており、外翼側は折れてしまっていました。また地下壕内の
大気に触れていた内翼側スラット本体も、ジュラルミン製にもかかわらず
かなり腐食が進んでいました。
一方で泥に埋まっていた内翼側は比較的程度のいい状態で発見され、
水で泥をていねいに落とすと、その下からは月光本来の機体色である
濃緑色がしっかりと浮かび上がってきました。

スラットの後縁部分には枕頭鋲が埋まっているのも、写真で分かります。
厚木基地の地下には巨大な地下格納庫があり、戦後も旧日本軍機が眠っているという
噂は航空機ファンの間で有名ですが、今回の月光の部品発見のニュースに
「あの噂は本当だったのか!?」と編集部内も色めきたちました。
しかし実際に発見された地下壕は横幅は2m弱、高さも人間がかがんでしか歩けないほどの
低さで、航空機を格納できるような規模ではなかったそうです。
今回、なぜこの地下壕に前縁スラットが置かれていたのか、予備部品としてか
放置品としてなのか、そして地下壕を掘った目的などについても、
詳細な記録は残されておらず、まったく判明していません。
ただ、戦後70年近くを経て、第302海軍航空隊の名残でもあるこの部品が
地下から発見されたことは、第二次世界大戦を実際に経験した世代の方々が
減りつつある現代に、なにかメッセージを届けてくれたような気もします。
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