1995年の阪神淡路大震災から、今日で25年を迎えました。
その後、2011年には東日本大震災などもあったことから
人々の記憶のなかで阪神淡路大震災に関することが
薄れつつあるようにも感じますが、
早朝の発災、都市部に近い地域で大火災が起きたことなどもあって、
震災関連で亡くなった方は6,434人とあまりに大きな災害であったことは、
忘れてはならないと感じます。
また、当時は緊急対応策の不備は切実で、その後DMAT(災害医療支援チーム)や
各自治体での防災ヘリコプターの整備なども急速に進んでいきました。
制度や命令系統の問題などから
自衛隊の災害派遣の初動が遅れたことを問題視する報道も多く見られましたが、
こうした反省は後に活かされ、昨今発生する大きな自然災害では、
自衛隊による迅速かつ的確な災害派遣活動が行なわれていることは
ご存じのとおりです
(また、現在オーストラリアで発生している大規模森林火災への支援で、
空自第1輸送航空隊第401飛行隊のC-130Hも2機が同地に派遣されています)。
『航空ファン』で連載している「航空救難団活動記録」では、
2019年12月号から同震災を含めた自衛隊の災害派遣と報道について
検証していますが、ぜひこうした機会に、
皆さんも大災害について今一度思い出し、備えていただければと思います。
紹介した写真は、阪神淡路大震災の際に
入間基地で支援物資搭載作業中の航空救難団のCH-47J。
所属部隊名は判然としませんが、左に写るクルーの肩には
三沢ヘリコプター空輸隊のパッチも見えるので、
全国のヘリ空輸隊から集まったCH-47Jが任務に就いていたものと想像できます。
その後、2011年には東日本大震災などもあったことから
人々の記憶のなかで阪神淡路大震災に関することが
薄れつつあるようにも感じますが、
早朝の発災、都市部に近い地域で大火災が起きたことなどもあって、
震災関連で亡くなった方は6,434人とあまりに大きな災害であったことは、
忘れてはならないと感じます。
また、当時は緊急対応策の不備は切実で、その後DMAT(災害医療支援チーム)や
各自治体での防災ヘリコプターの整備なども急速に進んでいきました。
制度や命令系統の問題などから
自衛隊の災害派遣の初動が遅れたことを問題視する報道も多く見られましたが、
こうした反省は後に活かされ、昨今発生する大きな自然災害では、
自衛隊による迅速かつ的確な災害派遣活動が行なわれていることは
ご存じのとおりです
(また、現在オーストラリアで発生している大規模森林火災への支援で、
空自第1輸送航空隊第401飛行隊のC-130Hも2機が同地に派遣されています)。
『航空ファン』で連載している「航空救難団活動記録」では、
2019年12月号から同震災を含めた自衛隊の災害派遣と報道について
検証していますが、ぜひこうした機会に、
皆さんも大災害について今一度思い出し、備えていただければと思います。
紹介した写真は、阪神淡路大震災の際に
入間基地で支援物資搭載作業中の航空救難団のCH-47J。
所属部隊名は判然としませんが、左に写るクルーの肩には
三沢ヘリコプター空輸隊のパッチも見えるので、
全国のヘリ空輸隊から集まったCH-47Jが任務に就いていたものと想像できます。