文芸評論家の斉藤美奈子氏は、さすがに言葉の意味を丁寧に見極める人だ。
筆者などは、8月の終戦に合わせて例年行われる全国戦没者追悼式の安倍晋三首相の式辞など、ボーと聞き散らかしていたが、斉藤美奈子氏は鋭くその式辞を分析してくれたのだ。
確かに、我々は首相の式辞に、すぐに出てくる「御霊(みたま)」に少々引っ掛かりはあったが、気にしていなかった。
しかし、斉藤美奈子氏のコラムにあるように、「単純な表現上の問題からしても「~された御霊」ではなく「~された人々の御霊」じゃないかと思うし、天皇のおことばが「かけがえのない命を失った数多くの人々」だったことと考え合わせても異質さが際だつ。」という部分に気がついた。
そうなのだ、安倍首相の言葉には、犠牲になった人々、すなわち、かけがえのない人間の存在などは、欠き消されているのだ。
大部分の戦死者はろくに戦いもできず、餓死や敵の銃弾の犠牲になって死んでいったのだ。 まず無念の思いで死んでいかれた人々に、思いをはせるべきなのだ。
ところが、首相の言葉は死者は全て神になるという、戦前の軍国主義で考え出された靖国神社的な英霊(御霊)を前面に押し出している。
そこには、人間の尊厳とか、無念に散っていった人々への無念などが感じられない。
斉藤氏は、他党の式辞の言葉も並べて書いておられる。 どれを読んでも天皇陛下のお言葉と同じで、犠牲になった人々への思いを述べている。
自民党だけが、御霊を使っているのだ。 このあたりにも憲法改正を進めようとする、自民党の本音が透けて見えるような気が筆者にはしてきた。
(東京新聞 こちら特報部 「本音のコラム」より貼り付け)
死者の呼び方
斉藤美奈子 (文芸評論家)
2016年8月17日
15日の全国戦没者追悼式の式辞で、安倍晋三首相は「祖国を思い、家族を案じつつ戦場にたおれられた御霊(みたま)、戦火に遭われ、あるいは戦後、はるかな異郷に亡くなられた御霊、皆様の尊い犠牲の上に、、、」と述べた。
御霊ねえ。なにかしっくりこない言葉である。 単純な表現上の問題からしても「~された御霊」ではなく「~された人々の御霊」じゃないかと思うし、天皇のおことばが「かけがえのない命を失った数多くの人々」だったことと考え合わせても異質さが際だつ。
同日発表の各党の声明も「先の戦争で犠牲となられた内外すべての人々」(民進)、「先の大戦で犠牲となられた内外の全ての方々」(公明)、「侵略戦争と植民地支配の犠牲となった、内外の人々」(共産)、「戦争の犠牲となってたおれ、傷つき、苦しめられた国内外のせべての方々」(社民)、「全ての戦没者」(こころ)、「先の大戦で犠牲となられた内外すべての方々」(生活)だ。
「先の大戦で犠牲となられたわが国並びに全ての国の英霊」という表現を使った自民党だけが異質。
沖縄全戦没者追悼式でも広島市原爆死没者慰霊式でも長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典でも、首相は戦没者を御霊と呼んでいる。
神道色が強く靖国神社を想起させる語を公的な追悼の場で使う理由は何? 霊になりたくてなった人はいないのに。
(貼り付け終わり)
筆者などは、8月の終戦に合わせて例年行われる全国戦没者追悼式の安倍晋三首相の式辞など、ボーと聞き散らかしていたが、斉藤美奈子氏は鋭くその式辞を分析してくれたのだ。
確かに、我々は首相の式辞に、すぐに出てくる「御霊(みたま)」に少々引っ掛かりはあったが、気にしていなかった。
しかし、斉藤美奈子氏のコラムにあるように、「単純な表現上の問題からしても「~された御霊」ではなく「~された人々の御霊」じゃないかと思うし、天皇のおことばが「かけがえのない命を失った数多くの人々」だったことと考え合わせても異質さが際だつ。」という部分に気がついた。
そうなのだ、安倍首相の言葉には、犠牲になった人々、すなわち、かけがえのない人間の存在などは、欠き消されているのだ。
大部分の戦死者はろくに戦いもできず、餓死や敵の銃弾の犠牲になって死んでいったのだ。 まず無念の思いで死んでいかれた人々に、思いをはせるべきなのだ。
ところが、首相の言葉は死者は全て神になるという、戦前の軍国主義で考え出された靖国神社的な英霊(御霊)を前面に押し出している。
そこには、人間の尊厳とか、無念に散っていった人々への無念などが感じられない。
斉藤氏は、他党の式辞の言葉も並べて書いておられる。 どれを読んでも天皇陛下のお言葉と同じで、犠牲になった人々への思いを述べている。
自民党だけが、御霊を使っているのだ。 このあたりにも憲法改正を進めようとする、自民党の本音が透けて見えるような気が筆者にはしてきた。
(東京新聞 こちら特報部 「本音のコラム」より貼り付け)
死者の呼び方
斉藤美奈子 (文芸評論家)
2016年8月17日
15日の全国戦没者追悼式の式辞で、安倍晋三首相は「祖国を思い、家族を案じつつ戦場にたおれられた御霊(みたま)、戦火に遭われ、あるいは戦後、はるかな異郷に亡くなられた御霊、皆様の尊い犠牲の上に、、、」と述べた。
御霊ねえ。なにかしっくりこない言葉である。 単純な表現上の問題からしても「~された御霊」ではなく「~された人々の御霊」じゃないかと思うし、天皇のおことばが「かけがえのない命を失った数多くの人々」だったことと考え合わせても異質さが際だつ。
同日発表の各党の声明も「先の戦争で犠牲となられた内外すべての人々」(民進)、「先の大戦で犠牲となられた内外の全ての方々」(公明)、「侵略戦争と植民地支配の犠牲となった、内外の人々」(共産)、「戦争の犠牲となってたおれ、傷つき、苦しめられた国内外のせべての方々」(社民)、「全ての戦没者」(こころ)、「先の大戦で犠牲となられた内外すべての方々」(生活)だ。
「先の大戦で犠牲となられたわが国並びに全ての国の英霊」という表現を使った自民党だけが異質。
沖縄全戦没者追悼式でも広島市原爆死没者慰霊式でも長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典でも、首相は戦没者を御霊と呼んでいる。
神道色が強く靖国神社を想起させる語を公的な追悼の場で使う理由は何? 霊になりたくてなった人はいないのに。
(貼り付け終わり)