ニセコ高原風だより

ニセコ高原のアコーディオン弾きがお送りする季節のおしらせ。

つくえ~が~わ~りの・ランドセル!!

2010-04-01 08:17:24 | Weblog





曇りから雨と天気予報は伝えている。

今朝方、春休み、多くの客様をお見送りして
YHは春の休業に入った。
休業と言っても、私はこの時期が一番忙しい。
今日から、大正琴のお稽古。
明日は,ニセに赴任される先生方の辞令交付式
夜は、この春異動が決まった,教育委員会職員の歓送迎会
(どっか遠くへ行ってしまう訳ではないけど)
日曜の札幌レッスンを挟んで,週明けから、各学校の入学式が毎日続く。
週の最後に,移動されて来た先生方の歓迎会があって、
一連の入学式シリーズが終わる。

昨日は、「チキ・チキ・バン・バン」と「雨にぬれても」を書き上げた。
アコーディオンの楽譜は、左Bassボタンをどう書いて行くかに、
ほとんどの力を注いでる。「こう書いてしまうと,初級の人には
難しい、けど、こう書けば,中級以上の人には,物足りない」
そこで、初級用「A」バージョン、中級以上「B」バージョンと
同じ曲でも2種類の楽譜を用意することになる。

昨年、関東地方から北海道に移住された生徒さんに
「先生の所に来て,左Bassボタンが動くようになって来た」という
評価をいただいた(今まで何をしていたのか・というお話だけど)
頭の片隅にでも、Bassボタンの形状がしっかり構築されれば
楽しく演奏出来るし,反復練習しか無いのだけれど、繰り返し,左指の
感覚を鍛えて行くしかない。

練習が進んで,弾ける生徒さんには,厳しい(妥協しないようにしている)
けど、楽しみにで練習に通われる生徒さんには、なるべくリクエストに
お応え出来るようにし、なにがなんでもこれを練習しなさいとは言わない。
膨大な練習曲が必要となる。

早朝のラジオ番組で,アフガニススタンの子どもたちにランドセルを届ける
現場に立ち会っている,カメラマンのお話を聞いた。
ほとんど雨の降らない砂漠のような校舎の無い青空の学校に
多くの子どもたちが通っている。本当に何にもない、電気も,ガスも。

先生がボードに書く、内容を子どもたちは地面に書いて学んで行く。
そして、日本から送られた、お古のランドセル,その中に入れられた
ノート、消しゴム、キャラクターの鉛筆をもらって,子どもたちは
穴のあく程、それらのプレゼントを眺めていると聞いた。

青空の学校に通えない子どもたちも多い。

学校に行けば給食があり,家に帰れば晩ご飯が用意されている、
四六時中光々と輝くコンビニの生活に慣れ親しんだ私達には,想像できない
世界だけれど、政府の教育機関関係者が出席して行われる、
ランドセルのプレゼントセレモニーの上空には、B52の飛行機雲が
いく筋も重なって続いている、という現実を報告されていた。

「つくえ~が~わ~りの・ランドセル・きらきらと~・ひかるえがお~・」

春の高校野球が後2日、今日は準決勝の日だ。
高校野球が始まると,私は必ず、甲子園球場の匂いを思い出す。
社員食堂のカレーの匂いや、通路、ベンチ裏、その他,独特の匂いを
もった球場だった。

昔,私達は,殆どと言って良いくらい「野球少年」だった。
兄とのキャッチボール、草っぱらの三角ベースから始まって、
ほとんど毎日、ボールが見えなくなるまで、グランドに立っていた。
ただ、がむしゃらに投げて,身体も大きかったので、小学生の時には
地域の野球チームを地区の優勝に迄もって行ったし、
校舎に囲まれたグランドで、2階建て木造校舎の屋根を飛び越えて
場外を放つ選手は,私だけだった。

近所の伯父さんの紹介で、その頃、甲子園球場のボールボーイも
経験させてもらっていた。春の選抜高校野球は毎日通った。
ベンチの横に待機して,キビキビとボールのお世話をした。
高校野球とプロ野球のボールの扱いはかなり違ったけど、
高校野球も汚れたり,ファールで傷ついたボールは、新しいものと
取り替えて,審判に渡しに行った。全力疾走。

観客が投げ返す,ファールボールはマイグローブで受け止めて、
ぺこりと頭を下げて礼を言った。
ファールボールの弾丸ライナーが直撃して来ることもあった。
先輩から,玉から目を離すな!!と良く叱られた。

当時、高校野球は木製・竹製バットだったから、1試合に,何本も
ポキポキ折れた、ヒビが入ったバットを高校生の選手からもらって
家に帰って素振りの練習をした。高校生になるとこんな重いバットを
振り回しているのか?と・・・・・。

選手達は負けると,皆、顔をくしゃくしゃにして、ベンチ前の土を
スパイクシューズの袋に詰めて持ち帰った。

シートノックが終った後,5回の攻守が終った後、試合が終わった後、
ラインを引き直したり、グランド整備にトンボを持って走った。
新米の頃は、なかなかトンボさえ,持たせてもらえなかった。

お天気が悪いときは,砂の用意や,シートの用意で大変だった。
時々,バックネット裏のスコアボードの中にも入った。
当時、あれは選手名から数字から全部手書きで、一枚一枚
その都度、はめ込んでいた。時々,点数を間違えたりして
こっぴどく叱られたりしていた。

プロ野球,巨人Vs阪神ナイターなんてなると、甲子園球場自体が一変した。
観客席は盛り上がり、高校野球の時、あんなに広く感じた球場が
狭くなった。塁間も異様に近く感じられた。

投手のピッチング練習を見て,ぶっ飛んだ。横から見てると
玉が早くて見えなかった。高校野球でも当時急速の早い投手はいたけど、
ぜんぜん、比較の対象にならなかった。

「これがプロだ!!」・・・・そのとき学んだ。

ナイター照明に浮かび上がるグランドは実に美しかった。
3塁ベンチで見る,王さんも,長島さんも、皆、大男だった。
ベンチの裏には「リ000ンD」が山のように積まれていた。
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