PIKEなMINICAR

昔々デザインをしたパイクカーたちが主人公のブログです。
ちひさきものはみなうつくし。

エンジン

2008年02月08日 | その他
CIデザインシステムはエンジンにも展開されていきました。当時はまだエンジンルームにまでデザインが及ぶことは少なく、最小限の範囲でコレクターカバーやエアクリーナーなど汎用性のある部品から変更されていきました。「エンジン群」をプロモーションする活動も行われ、日産のエンジン群は「PLASMAエンジン」とネーミングされて専用カタログもつくられました。

このプラズマエンジンを牽引したのがシルビア・ガゼール・スカイラインに搭載されたFJ20E・T/FJ20E(4VALVE DOHC TURBO 190PS)。そしてフェアレディZ・セドリック・グロリアに搭載されたVG30E・T/VG30E(V6 3000 TURBO 230PS)とVG20E・T/VG20E(V6 2000 TURBO 170PS)エンジンでした。これらの高性能エンジンには世界のレースやラリーに参戦した経験が活かされ、「日産の新世紀エンジンシリーズ」としてデビューしました。

後にBe-1、PAO、FIGAROに搭載されたMA10型エンジンも超軽量1リッターアルミエンジンとしてプラズマエンジンカタログのトップページに掲載されました。57PSの小型エンジンですが非常に完成度の高いエンジンで、20年を経過した今でもうちのBe-1はリッター22km前後の燃費をたたきだしています。画像はVG30E・Tのコレクターカバーと、エンジンとドアミラーを中心に制作したタミヤ 1/24 フェアレディZ(Z31)。ディテールもしっかりできている・・さすがタミヤです。
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国産初ドアミラー

2008年02月07日 | その他
新しいNISSANのロゴはこのような部品にも表示されていきました。特に純正部品への表示は東南アジアなどでの海賊版製品との識別上も重要。現在ではドアミラーはあたりまえの装備ですが、これは当時の運輸省認可第1号、国産初のドアミラー。採用は1982年4月発売の日産パルサーEXA(N12型)からでしたが、実はこのドアミラーはS12型シルビアをベースにつくられました。

それはシルビアが当時の日産車のなかで一番フロントウインドウの傾斜角がきつく、最も難しい条件の車だったからです。シルビアでクリアすれば全ての車に適用できるということです。その後車体への取付部分(ミラーベース)や表面処理を変えて全車種に適用されていきました。

当時はまだCAD導入の初期段階で全て手描きの図面。いろいろな体格の人がいろいろなシートポジションで鏡を通して車体の隅々を、また後方の物体を見るという複雑なシュミレーションを車体全体、室内全体の巨大な図面を広げて検討しました。完成したものは小さいですが、車の膨大な情報が詰まっている部品です。そういう意味でドアミラーの図面が描ければ一人前といわれました。

今ではドアミラーもずいぶん進化しましたが、当時の電動ミラー用のモーターはそんなにコンパクトではなく、このサイズや形状が限界でした。画像は国産初ドアミラーとその1/1モック(ミラーから出ているのは前後可倒機構)。モデルはタミヤ 1/24 フェアレディZ(Z31型)。本来ならS12シルビアを登場させるべきなのでしょうが、ドアミラーの形状を忠実に再現できているのはこのモデル。さすがタミヤです。
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輸送船

2008年02月04日 | その他
最も大きなアイテムのひとつが輸送船。画像中央は輸出専用船「座間丸」。左は国内用の「日産みやこ丸」。小型の「みやこ丸」でさえ全長が130mもあります。真っ白というのもさすがに大きさに負けてしまいます。CIデザインシステムの中のひとつの要素だった「日産ストライプ」(現在は使われていません)という24:20:56の赤白青のストライプでも表現できる大きさではありません。そこで考案されたのが一番下の青色の部分を下方向に延長するというペイントでした。小さなバッジからヘリコプターや船舶まで実にいろいろなアイテムのアプリケーションデザインを経験することができました。

中央の座間丸は実物の確認もしましたが、岸壁からではとても全容が把握できないスケールでした。岸壁には船積みを待つ初代マーチ(K10)。この車から後にBe-1やPAOやFIGAROが生まれるとは想像もしていませんでした。海外赴任するK10を見る「ちびっこチョロQ」のBe-1とFIGARO。あ、とうちゃんだ~。
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プロモーショナルマーク

2008年02月03日 | その他
このCIデザインシステムで忘れてはならないアイテムが「プロモーショナルマーク」と言うマークとロゴを一体にした長方形のマークです。土星のような形のマークは歴史と伝統があって良いのですが、グラフィックアイテムとして見ると使いにくい形でもありました。従来のマークとNISSANの新しいロゴを組み合わせて安定感のある形におさめたのがこのマークです。NISSANという表記が二重になるので、やや煩雑な感じですが海外でとても評価され、国内にも展開されることになりました。まだ記憶されている方も多いと思います。

このマークは特に印刷媒体として使いやすいデザインだったので急速に普及しました。またコピーを組み合わせてもよい仕組みだったので、時代とともに変化できるという特徴もありました。初代のスローガンは「もう走り始めています 21世紀へ-先進技術の日産」でした。さすがに「21世紀へ」というフレーズが時代を感じさせます。現在のマークはリニューアルされたものですが、「SHIFT_」という変幻自在なコピーの仕組みも源流はここにあるのかもしれません。

画像は当時の社用ヘリ「ベル206型 ジェットレンジャー」(モデルはハセガワ製)。このCIデザインシステムではコーポレートカラーを赤白青と規定していますが、特に基調色を白として清潔感を重視しました。真っ白な機体にプロモーショナルマークだけというデザインを提案。シンプルすぎるという意見もありましたが、ちょうどJALの機体デザインが白とシルバーのシンプルなものに更新される時期と一致したこともあって理解され、販売店の外観や大型トレーラーなども白が基調とされていきました。もちろんラリーカーなどにもこのマークがつけられました。
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アプリケーション

2008年02月02日 | その他
新しいマークやロゴはあらゆるアイテムに使うため、素材や加工方法も含めて多面的に考えられました。印刷媒体だけではなく鋳物部品、細かな金属部品への刻印、ガラスや樹脂部品のレリーフ、刺繍、画像、極端に大きい屋外広告、船舶などありとあらゆるものが対象になりました。

画像は名刺、バッジ、ワッペン。シーエムズコーポレーションの1/64 200SXにみるラリーカーのペイント。
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NISSAN

2008年02月01日 | その他
ダット自動車製造はその後戸畑鋳物の傘下にはいり、さらに日本産業と戸畑鋳物が共同出資した「自動車製造株式会社」へと進化。日本産業は鮎川義介が創立した持株会社で、傘下には日本鉱業、日立製作所、日本油脂、日本水産、日本ビクター、日産火災などさまざまな産業にわたる企業を擁して日産コンツェルンを形成。その中の自動車工業を受け持ったのが日産自動車でした。

商標は「昇る旭日と誠心」をあらわす赤い円と、「至誠天日を貫く」をあらわす横棒にDATSUNを白抜きにしたものが使われ、同じデザインで文字をNISSANにかえたものも追加。このような歴史の流れをふまえてブランド統一が行われたわけですが、世界中で親しまれた「DATSUN」(北米ではダッツンと発音)がなくなることへの危惧も多かったのです。ちょうど松下が海外ブランドの「Panasonic」を統一ブランドにするのとまったく反対のやり方です。

画像は「DATSUN 180SX/200SX」(US110シルビア)の輸出用カタログと、ブランド統一後の「NISSAN SILVIA」(S12シルビア)の輸出用カタログ。
Comments (3)
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