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奴隷の世界歴史(連載第47回)

2018-04-15 | 〆奴隷の世界歴史

第七章 古代国家と奴隷制

古代「文明」と奴隷制①:メソポタミア
 前章では古代ギリシャ・ローマの奴隷制に焦点を当てたが、あえて時代を過去へ逆にたどる構成を採ってきた本連載の最終章となる本章では、古代ギリシャ・ローマより遡る古代国家における奴隷制の諸相を概観する。国家と奴隷制の結びつきの起源を探る試みである。
 古代国家と言えば、「文明」の創始と結びつけられて美化的に語られることが多い。実際、そのような開明的な側面も認められることはたしかであるが、その裏には他人を隷属させて労役を課す奴隷制の創始という暗黒面も認められる。「文明」の持つもう一つの顔である。
 「文明」の発祥地と言えば、在来の通説に従う限り、メソポタミア地方であり、中でも当地に最初の文明的都市国家を築いたと目されるシュメール文明が嚆矢であるが、今日では死語となったシュメール語には奴隷を意味するイル(男性奴隷)/ゲメ(女性奴隷)という対語が存在していた。
 これらの奴隷には、戦争捕虜として連行された者の他に、商人から購入された者もあり、奴隷制の根本的な骨格はすでに「文明」創始期から出揃っていたことがわかる。ただし、奴隷労働力が生産活動全般を担うことはなく、奴隷は専ら家内奴隷として家事・家内生産に動員されていた。
 シュメール文明を征服・継承してメソポタミアに最初の統一国家を一時的に築いたアッカド帝国の時代に「自由民/奴隷」という初歩的な身分制が整備されたと見られるが、奴隷は家畜同様に売買される身分ながら、独立して生計を立てたり、解放されて半自由民となることもできるなど、柔軟性があった。
 後にシュメール都市国家を再建したウル第三王朝創始者ウル・ナンム王が制定した現存する世界最古の成文法であるウル・ナンム法典(紀元前2100年乃至2050年頃)には奴隷に関する規定が数か条搭載されており、中でも逃亡奴隷の捕縛者に報奨金を出す奴隷の逃亡抑止のための規定の存在は、奴隷制が単なる社会慣習から法制度に昇華されたことを示している。
 続いてこの地の覇者となり、かつ精緻な法典を制定して文明国家を発展させたのがバビロニアであるが、中でも有名なハンムラビ王が制定したハンムラビ法典は奴隷に関する詳細な規定を擁する。おそらく、これは体系的な奴隷法制としては史料的に現存する最古のものであろう。
 そこでは奴隷の逃亡幇助が死罪とされ、奴隷の逃亡抑止がいっそう厳格に図られている。さらに奴隷は宮殿台帳に登録されるとともに、奴隷には刻印を義務づけ、それを抹消する行為も死罪とされるなど、奴隷の国家管理が明確にされている。
 とはいえ、バビロニアの奴隷制もやはり家内奴隷を中心とする限定的な制度である。後代の新バビロニア時代になると、神殿に所有され神殿の雑務に従事する神殿奴隷や、王室に従属する王室奴隷などのカテゴリーが誕生するが、それらも広い意味では神殿なり王室なりの「家内労働」に当たる家内奴隷と言い得る存在であった。


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