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海の非領有化

2015-11-08 | 時評

中台間の「雪解け」が演出される一方で、南シナ海をめぐっては中国と周辺諸国の間での緊張が高まり、米国が軍事的な示威行動に出るなど、冷戦的状況が起きている。

だが、そもそも南シナ海とは、すなわち南中国海の謂いであり、この海洋名で呼びながら、南シナ海は中国の領海でないと反駁することには矛盾がある。同様に、もし日本海は日本の領海でないと主張されたらどうなるか。

筆者はここで、南シナ海は中国の領海であるという主張に左袒するつもりはない。むしろ、海洋に特定の国名を冠して呼ぶことの問題性を提起する。日本海もその例外としない。問題はしかし、海洋名を中立化すれば済むというわけでもない。

筆者はかねてより、いくつかの記事で、地球の私有・領有という観念そのものに反対し、地球は誰の物でもないという考え方を提示してきた。人類が広い意味での「所有」の観念に深くとらわれている現時点では極少数説であるが、このような考え方は海洋から始めるにふさわしい。

海洋は陸地と異なり、物理的な線引きができないので、「領海」と言ったところで、水に有刺鉄線を設けて国境警備隊を配備するわけにいかない。せいぜい、周辺海域の島に物理的な設備を設けるのが精一杯で、もともと領有関係が曖昧なのだ。

もしどうしても「領有」という観念によるなら、およそ生物のふるさとでもある海こそは、地球上の全生物が共同で領有する場であるべきだろう。

このような「海の非領有化」という革新的な国際法概念を海洋に多数の国が連なる東アジアから創出することはできないものだろうか。少なくとも、東アジアが海洋紛争の悪しき見本となることだけは回避されたい。


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