ザ・コミュニスト

連載論文&時評ブログ 

共産法の体系(連載第30回)

2020-05-02 | 〆共産法の体系[新訂版]

第6章 犯則法の体系

(2)犯則行為の本質
 共産主義的犯則法における犯則行為は、道徳に背反する背徳行為ではなく、共同社会の秩序を乱す反社会的な行為として把握される。その点で、犯則行為者に与えられる処遇には道徳的非難の意味合いはなく、そうした非難と処遇とは本質上別個のものである。
 より詳細に犯則行為の本質に立ち入れば、それは法益侵害の物理的結果と犯則行為者の故意行為との物心複合体として把握される。この点で、共産主義的な犯則の把握は唯物論的な行為結果主義と唯心論的な行為者心理主義のいずれにも偏らない。
 このように犯則行為とは特定の物理的な被害を生じさせる故意行為を基本型とし、過失行為は基本的に犯則行為とみなされないが、過失の程度が重い重過失行為及び高度な注意義務が課せられる業務者の業務上過失行為は故意行為に次いで反社会性が強いため、犯則行為として把握される。
 一方、正当防衛に代表される防御的な反撃行為は生物として自然の反応であるから、そもそも犯則行為に該当しない。また医師による外科手術のように正当な業務行為として適正に行なわれた侵襲的行為もまた然りである。こうした正当業務行為は反社会的どころか、社会的に有益な行為だからである。
 なお、ここで言う則行為は、行政的則行為とは区別される。行政的反則行為は、行政的な取締規定に違反する行為であり、その法的効果は一定の資格/免許剥奪や公民権停止/剥奪のような行政罰であって、矯正処遇ではない。その代表例は、道路交通法規違反である。
 ところで、伝統的な刑罰制度には「責任なくして刑罰なし」という標語に象徴される責任主義のテーゼが埋め込まれている。つまり、刑罰は過去の犯罪行為に対する行為者の責任を根拠に科せられる法的反作用であるとされる。
 そのため、犯行当時心神喪失状態にあった責任無能力者は犯罪を犯しても責任を問えず、法的には無罪の扱いとなり、しばしば社会的な波紋を呼び起こすことがある。
 共産主義的犯則法にあっても、「責任」は否定されないが、それは過去の行為に対する回顧的な責任ではなく、犯則行為者が将来へ向けて改善・更生していくべき展望的な責任である。
 従って、責任無能力ゆえに無処遇という扱いはなく、犯行当時精神疾患等の影響性が強く認められたとしても、処遇が全く免除されることはないのである。後に改めて論及するように、そうした場合には、精神医学的な治療プログラムを組み込んだ治療的処遇が与えられることになる。
 ただし、犯則行為者の精神障碍や知的障碍が重度かつ回復困難であるため、矯正処遇の実質的な効果を期待できないと判断された場合には処遇不能ゆえに免除とし、医療福祉的保護措置に付せられるということはあり得るが、それはかなり例外的な場合である。


コメント    この記事についてブログを書く
« 共産法の体系(連載第29回) | トップ | 共産法の体系(連載第31回) »