ザ・コミュニスト

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テロと戦うな

2013-01-26 | 時評

日本人を含む多国籍の市民が死傷したアルジェリアの人質事件は、米軍による9・11事件首謀者ビン・ラディン容疑者の殺害後も、イスラム武装勢力の脅威が減じていないことを証明した。

事件を起こした武装勢力が拠点を置くとされ、旧宗主国フランスが軍事介入する西アフリカの小国マリが第二のアフガニスタン化することも懸念されている。

20世紀の「冷戦」に代わる21世紀の国際イデオロギー対立構造「テロとの戦い」の限界を示す新たな事態である。そもそも厳密に定義不能なメディア用語としての「テロ(テロリズム)」とは戦いようもない(実際、今般の人質事件は本当に「テロ」なのかどうか)。

曖昧な「テロ」と戦う代わりに、過激主義の根源を直視することである。その根源とは、ひとことで言って社会的不公正である。元来、資本主義が生み出した社会的不公正は資本主義のグローバルな拡散によって各地で増幅している。

アルジェリアを含む北アフリカ地域も社会主義から資本主義へと遷移してきており、とりわけこの地域に豊富な天然資源の開発を基軸とした資本主義的成長モデルがモードとなっている。しかし、「資源資本主義」による成長モデルは従来にも増して富の集中化と階級格差の拡大を助長している。 

そうした社会的不公正への対抗軸がかつての社会主義・共産主義からイスラム原理主義に変遷してきているのが、現代中東の時代流である。日本資本も中東での資源開発競争に深く参入しているから、日本の「企業戦士」も「イスラム戦士」の主要な攻撃標的にされた。

こうした構図は一見して「文明の衝突」に見えるが、それは見かけのことにすぎない。ベールの奥に隠された実態は、姿形を変えた階級闘争である。ただ、それは宗教反動の時代を象徴した闘争形態ではある。

事件がアルジェリアで起きたことも、一つの時代的変化を象徴している。アルジェリアは歴史に残る武装闘争によって旧宗主国フランスから独立を勝ち取った誉れ高い国である。ところが、アルジェリア政府はマリへの軍事介入に際しフランス空軍機の領空通過を認めている―人質事件はそのことへの報復の意味もあるとされる―という。

たしかにこの措置は旧宗主国の軍事作戦のために自国の主権の一部を譲り渡すに等しい。今なお「民族解放戦線」の名を残してアルジェリアの政府与党の座にあるかつてのレジスタンス勢力の誇りはどこへ行ったのか。旧宗主国と一体化した武断的解決策は何も解決すまい。 


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