ザ・コミュニスト

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続・終わりの始まり

2012-10-17 | 時評

14日まで東京で開催されたTMF・世銀年次総会は、48年ぶりに東京で開催されたことに意義があるのではなく、その意義は戦後資本主義の守護神である両機関が重大な曲がり角にあることを示した点にある。

思えば48年前の東京総会は、TMF・世銀本来の役割であった戦後復興の大きな成果の一つとして、資本主義的高度成長期にあった「新興国」日本で開かれたことに象徴的意義があった。

その後、いわゆるニクソン・ショックでブレトン・ウッズ体制としてのTMF・世銀は終焉し、1970年代以降、今度は新自由主義の国際司令塔として新装された両機関がフル稼働してきたが、それも2008年大不況後、打ち続く経済危機を解決できず、終焉した。

「世界経済の成長は減速し、著しい不確実性と下振れリスクが残る」というIMFC声明は、その敗北宣言に等しい。要するに、資本主義の未来は不確実と認めたのだ。欧米・日本経済はもちろん、頼みの新興国経済も危ういということだ。 

これをどう読むかが問題である。資本主義の正当性を絶対視するエコノミストなら、あくまでも資本主義ではおなじみの景気変動のちょっと厄介な亜種にすぎず、日はまた昇るとのたまうだろう。こういうラテン気質の楽観主義こそ、多くの人を惹きつける資本主義の魅力かもしれない。

しかし、それほど楽観的にはなれないコミュニストであれば、資本主義の守護神自身が資本主義の終わりの始まりを事実上公式に認めたと読むだろう。

2008年大不況は政府による巨額の公的資金注入というなりふり構わぬ延命措置によって当面乗り切れたが、今度は新たに政府の財政破綻という問題を抱え込んだ。分裂危機にある政府債務問題の震源地・欧州連合をノーベル平和賞で景気づけても、状況に大きな変化はあるまい。 

経済成長のためには財政危機の解決が必須であり、財政危機の解決のためには税収増につながる経済成長が必須である。こうした解けない連立方程式に直面したことで、資本主義は終わりの始まりをすみやかに進んでいる。

そうした意味で、今年のTMF・世銀総会は、昨年8月の拙稿『終わりの始まり』に公式のお墨付きを与えてくれたものと評することができる―もちろん、楽観主義的に資本主義の力強い再生を信じることも自由であるが。


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