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弁証法の再生(連載第13回)

2024-06-13 | 〆弁証法の再生

Ⅳ 唯物弁証法の救出

(12)アドルノの否定弁証法
 エンゲルスがいささか形式的に整理したヘーゲル弁証法の三法則は①量から質への転化②対立物の相互浸透③否定の否定の三つであるが、このうち、ソ連の独裁者スターリンは第三法則の否定の否定を「否定」した。これは、スターリンの反知性的な教条主義にとって、止揚(揚棄)を導出する否定の否定は、自身の絶対性を揺るがす容認し難い思考操作だったからにほかならない。
 スターリンに限らず、およそあらゆる教条主義者は、自身が信奉する教条を絶対化するので、それを止揚されることを忌避する。止揚・揚棄された命題はもはや教条でなくなってしまうからである。その意味で、教条主義と弁証法は相容れない。
 一方、スターリンとは全く異なる見地から、第三法則を否定しようとしたのがテオドール・アドルノであった。アドルノは第三法則が内包する個別性の否定と、全体—ヘーゲルの場合は絶対精神—への収斂という同一性の思考を批判し、個別性=非同一性を保存すべく、対立命題を止揚することを否定しようとした。これが彼の否定弁証法の趣意である。
 系譜上はマルクス主義に属するアドルノがそこまで思い詰めたのは、自身ユダヤ人としてナチスの全盛期に亡命を余儀なくされた経験を踏まえ、啓蒙的理性が全体主義体制の道具と化し野蛮な暴力に転化したことを悲観し、その大本を全体への収斂を志向する一元主義的な弁証法的思考の欠陥に見たからであった。
 そこで、全体への収斂という思考を断ち切り、止揚の手前で対立命題の個別性=非同一性を徹底的に保存しようとするのが否定弁証法であり、その意味では、ここでの弁証法は新たな真理を導くことなく、未知の真理を浮かび上がらせる対話問答術としてとらえられていたソクラテスの弁証法にまで立ち戻ったと言えなくもない。
 ただ、ヘーゲルが確立した弁証法的思考の本義は、対立命題を全否定することなく止揚して新たな境地を開こうとする点にあり、その点において、対立命題の一方に偏る両極主義も、足して二で割る式の平均主義やつまみ食いの折衷主義も排する新たな思考を開拓したのであった。
 そうした止揚を導出する定式が否定の否定、すなわち二重否定であるが、これも形式論理学的な二重否定=肯定ではなく、対立命題双方を限定的に否定すること、言い換えれば対立命題を限定的に保存することを通じて、新しい命題を導出しようとする思考法であって、必ずしも絶対的な全体に収斂する全体主義的思考とイコールではない。
 アドルノの否定弁証法は全体への収斂を恐れるあまり、無限の相対主義に陥る危険がある。実際、アドルノが一時的とはいえ、ナチス政権最初期にナチス関連広報誌に寄稿するなど、ナチスににじり寄ったことがあったのも、ナチズムを限定否定する—裏を返せば、限定的に肯定する—ばかりで揚棄しない相対主義の危険な一面が露出したものかもしれない。*アドルノ自身は相対主義を批判しているが、それは反動的な偏向を含む特定の相対主義への批判である。
 とはいえ、アドルノの否定弁証法は弁証法そのものを否定するものではなく、片やナチスにより野蛮と化した啓蒙的理性の弁証法、片やスターリン以後のソ連によって教条化された唯物弁証法から、弁証法そのものを救出せんとする試みの一つであったと言える。
 その意味で、否定弁証法は弁証法の否定ではなく、弁証法的思考法に重大な修正を加える新たな弁証法のあり方を示したものである。しかし、弁証法の真骨頂である止揚を否定すれば、弁証法の肝に当たる部分を取り去ることとなり、弁証法の否定と紙一重ではある。そのことによって、否定弁証法はかえって弁証法の退潮に手を貸したように見えるのである。


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