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差別を助長する司法

2014-07-20 | 時評

最高裁判所は、18日の判決で永住外国人に生活保護受給権は保障されないとする初めての判決を出した。要するに、日本の憲法の番人によれば、在日外国人の貧困者は餓死せよというわけである。

もちろん、そんなことを明言するほど最高裁も野暮ではない。生活保護受給者を「国民」と定める法律の形式的な文言に従ったまでである。現実には、行政裁量で外国人にも生活保護は支給されているので、不都合はないとの判断であろう。しかし、裁量ということは、支給しなくてもよいということで、在日外国人の生存は行政の匙加減しだいという不安定なものとなる。

短期滞在の外国人ならわかるが、永住外国人は国民と同等に租税も負担し、生活実態も一般国民と変わらないのに、最低限度の生活保障を受ける地位に関して国民と差別されるのは不公正である。

それでも、法律の文言が・・・と弁解するか。しかし、法律の形式的な文言どおりに判決すれば済むなら、日本語が読める限り素人でも裁判はできる。裁判官のプロフェッショナル性は文言どおりに解決がつかないときにこそ発揮される。

本件で言えば、法律の文言は「国民」であっても、国民と生活実態の変わらない永住外国人に対しては生活保護法の趣旨が妥当するとして、国民に準じて受給権を持つという類推解釈を示すこともできたはずだ。

最高裁が受給権を認めた二審判決を破棄してまで形式解釈で不公正を容認したのは、近年とみに強まる在日外国人排斥の風潮に迎合したものと疑われてもやむを得ない。少なくとも、このような判決は外国人差別を助長する。差別を救済すべき司法が差別を助長するのでは話にならない。

司法の最大の役割は公正さの保障にある。司法は公正さを保障するためには、世の風潮に反することもためらうべきでない。裁判官が選挙制ではないことの意義をよく考えるべきだ。


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