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近代革命の社会力学(連載第406回)

2022-04-04 | 〆近代革命の社会力学

五十七 ソヴィエト連邦解体革命

(4)新連合条約と保守派クーデター

〈4‐1〉新連合条約の起草と国民投票
 前回も見たように、ソ連のゴルバチョフ政権は自身が開始した改革政策の結果として刺激されたバルト三国の独立運動に対して硬軟両様で抑圧を図ったが、成功しなかった。この失策は、連邦体制そのものを大きく揺るがすことになる。
 実のところ、ゴルバチョフ政権は1990年11月の時点で、ソ連邦形成の法的土台となった1922年連邦条約を大改正し、構成共和国に主権を回復したうえ、国名をソヴィエト社会主義共和国連邦からソヴィエト主権共和国連邦に変更する新たな条約(新連合条約)の構想を提示していた。
 これは従来の主権を持たない名目上の構成共和国を主権共和国として認め、連邦を主権国家の連合に転換するというもので、それ自体、実質上ソ連邦の解散を意味していた。このような構想はつとに1988年の段階でエストニアが提案していた構想を反映したものであり、ゴルバチョフ政権にとっては大幅な妥協案であった。
 しかし、新条約案をめぐっては国家連合と共和国の権限分配などに関して論争点も多く、起草過程では、形だけの主権回復となることを警戒した原提案者エストニアを含むバルト三国ほか6つの構成共和国が参加せず、最終的に、人民代議員大会では、新条約の是非を問う全連邦国民投票に委ねることを採択した。
 その結果、1991年3月に実施された連邦国民投票も如上6共和国が参加をボイコットしたため、起草に参加した9共和国のみで実施されるという不完全なものにとどまった。そのため、投票結果は約78パーセントが賛成という政権にとっては有利なものとなった。
 片や、急進改革派エリツィンが主導するソ連邦中枢国ロシアでは連邦国民投票と同日に実施された独自の住民投票によって直接選挙に基づく大統領制を新設、同年6月の大統領選挙では無党派で立候補したエリツィンが共産党系の候補者を破って圧勝した。
 ロシアはすでに1990年6月に象徴的な主権宣言を発していたが、エリツィンが直接選挙による大統領に就任したことは、ソ連邦とロシアの二重権力を生み出したに等しく、ソ連邦全体の解体へ向けた第一歩となる激震であった。
 また、連邦国民投票をボイコットしたグルジアでは1990年11月に非共産党系の政権が独自の選挙によって成立しており、連邦国民投票後の91年4月、独立の是非を問う住民投票の結果、99パーセントの賛成により、独立宣言を発した。
 一方、ソ連共産党保守派の間では新連合条約が構成共和国に主権を回復することにより、実質上ソ連邦が崩壊することへの懸念が高まり、91年8月に予定されていた新連合条約の調印を非合法的な手段により阻止しようとする謀議が進行していた。


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