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マルクス/レーニン小伝(連載第44回)

2012-12-27 | 〆マルクス/レーニン小伝

第2部 略

第3章 亡命と運動

(1)党内抗争と理論闘争(続き)

ローザvs.レーニン論争
 意外なところから、レーニンに論争を挑む者が現れた。ドイツ社会民主党左派のローザ・ルクセンブルク(以下、ローザという)であった。ポーランド出身のユダヤ人であった彼女は、後年ドイツ共産党の共同創設者としてドイツ革命の渦中で反革命化した社民党政権が動員した民兵組織の手にかかって虐殺される運命にあった人であるが、彼女が最初に名を上げたのは、第1部でも見たように、エンゲルス没後のドイツ社民党内部に生じたベルンシュタインのいわゆる「修正主義」の思潮に対する批判の急先鋒としてであった。
 レーニンが「修正主義」に反対したのは、ロシアの経済主義にも連なるこれらの思潮は労働者革命の自然発生性を神秘化しているとみなしたからであるが、ローザの場合には全く反対に、労働者大衆の自然発生的な革命運動への絶対的な信頼に基づいて、ベルンシュタインの順応主義的な路線を鋭く批判したのである。
 ローザのこうした自然発生的革命論は論理上、レーニンのエリート主義的な革命前衛理論とも衝突せざるを得ない。実際、彼女が1904年にドイツ社民党理論機関紙『ノイエ・ツァイト』とすでにレーニンの手を離れていた『イスクラ』に同時発表したレーニン批判論文「ロシア社会民主党の組織問題」は、レーニンの「一歩前進、二歩後退」に現れているレーニン的党組織論の「超中央集権的」な性格を批判の中心にすえている。
 ローザの自然発生的革命論によれば、レーニンのような中央集権的党組織によるプロレタリアートの指導はあり得ず、党の指導的役割は最小限度の受動的なものにとどまるのである。
 ローザが労働者の階級意識獲得の手段として、従ってまた革命の契機として期待をかけるのはゼネラル・ストライキ(ゼネスト)であった。ローザが前記論文の結びに置いた「真の革命的な労働運動によって犯される誤謬は、歴史的には最良の中央委員会の無謬性よりも限りなく実り豊かであり、貴重である」という一文は、彼女の党非組織論を雄弁に要約している。
 ローザの所論は一見すると、マルクスの革命後衛理論に近いようにも見えるが、マルクスは第1部でも見たとおり、共産主義者(=革命家)をプロレタリア運動における断固たる推進的部分かつ洞察力を備えた集団と積極的にとらえるのであり、それは決してローザ的党のように大衆の自然発生的ゼネストの後をついていくだけの受動的徒党ではないのである。
 大衆の自発性に対するローザの無条件的信奉は、彼女のもう一つの重要な経済学的持論である資本主義の自動的崩壊論とともに、神秘主義的マルクス主義とでも呼ぶべきマルクス理論からの独異な逸脱を示していた。
 ローザはその後もたびたびレーニンと激しい論戦を交わし、ロシア10月革命とその帰結であるボリシェヴィキ独裁に対する最も手厳しい批判者となった。しかし、レーニンはローザを決してメンシェヴィキの同類とみなして切り捨てることなく、最も手ごわい批判的同志として遇し、彼女がドイツ共産党の共同創設者カール・リープクネヒトとともに虐殺された時、すでに権力の座に就いていた彼は、二人の死を深く悼んだのである。


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