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近代革命の社会力学(連載補遺2)

2019-11-01 | 〆近代革命の社会力学

六ノ〇 スウェーデン立憲革命

(2)復刻絶対君主制の両義性
 スウェーデンの立憲革命は、18世紀中に、身分制議会制度の枠内ながら、一度は原初的な立憲君主制が成立した後、グスタフ3世の宮廷クーデターで絶対君主制が復刻したという転回を前史としている。
 このスウェーデン復刻絶対君主制の時代は、グスタフ3世及び4世の二代37年間という一時代に及んでいるが、この間の絶対君主制には両義性が見られた。
 彼が覆した「自由の時代」は貴族政治の時代でもあり、王権が形骸化する一方で、貴族の特権が増した時代でもあった。そのため、グスタフのクーデターは、むしろ権力から締め出されていた農民階級や都市民などからは、貴族政治からの解放として歓迎されたのであった。
 また、グスタフ3世は啓蒙専制君主の性格を持ち、「自由の時代」の象徴だった出版自由法は厳しく制約し、言論統制を強化しつつも、拷問の廃止や社会福祉事業、文化振興策などには、国王主導で取り組んだ。
 こうしたことから、農民・市民階級などを支持基盤とするある種のポピュリズムの側面を持ったのが、この復刻絶対君主制の時代であった。他方、自由を喪失した貴族階級の間では不満が鬱積し、1789年のグスタフ廃位の陰謀と1792年のグスタフ暗殺事件はそうした貴族層の不満を背景とした反体制の蠕動であった。
 1789年の陰謀は計画段階で挫折したが、1792年の暗殺は防止できなかった。首謀者は貴族出自の元近衛士官ヤコブ・ヨハン・アンカーストレムという人物であったが、他に40人ほどの共犯者がおり、かなり綿密に計画された陰謀であった。暗殺後にはクーデターも予定していたとされるが、不発に終わった。
 この国王弑逆という欧州でも稀有の事件は1809年立憲革命の先取りのような出来事ではあったが、大衆的人気のある国王の暗殺という過激策に出たことで、かえって民衆の怒りを買い、実行犯アンカーストレムは、残酷な体刑を受けたうえ、公開斬首刑に処せられた。この時点では革命の機はまだ熟しておらず、かつクーデター計画自体も粗雑なものだったため、失敗に帰したのである。
 父王の暗殺により、13歳で即位したのがグスタフ4世であったが、当然当初は親政できず、大臣グスタフ・アドルフ・ロイターホルムが事実上の摂政役として補佐した。ロイターホルムはリベラルな政治家で、再び出版自由法を緩和したが、グスタフ4世が18歳になった1796年に親政を開始すると、ロイターホルムは追放され、父王時代の政策に復帰した。
 グスタフ4世の治世前半期はまだ故グスタフ3世の人気と声望が残され、かつフランス革命の余波が恐れられた時期でもあり、4世親政による反動的絶対君主制の継続は問題視されることなく、受け入れられたのである。


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