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近代革命の社会力学(連載補遺3)

2019-11-02 | 〆近代革命の社会力学

六ノ〇 スウェーデン立憲革命

(3)対ロシア敗戦から革命へ
 グスタフ4世は、父王グスタフ3世が復刻した絶対君主制の忠実な継承者として、1796年の親政開始後も、身分制議会を招集することなく統治しようとしたため、議会招集を必要とする戴冠式を1804年まで延期していた。同年に財政難に対処する必要が生じて、ようやく議会を初招集したが、それも渋々とであった。
 4世は対外政策に関しても父王の反フランス革命の方針を継承し、対仏大同盟に積極的に参加したが、大同盟軍がナポレオンのフランス軍に敗北したことで、目算が狂い始めた。とりわけ、同盟国だった帝政ロシアとの間で軋轢を生じた。
 その後、勃発する対ロシア戦争の詳細な経緯は本連載の趣旨を外れるので省略するが、この戦争はスウェーデンの敗北に終わり、フィンランド領とオーランド諸島をロシアに割譲させられることとなった。その結果、スウェーデンは父王の時代に再興したバルト海帝国としての地位を喪失したのである。
 父王グスタフ3世の復刻絶対君主制に存外な国民的支持があった理由として、「自由の時代」にいったん喪失したバルト海帝国としての地位を復活させたことがあったため、グスタフ4世がこれを喪失したことは、絶対君主制における体制の危機に直結した。
 破綻の時は、すぐに到来した。対ロシア戦争敗北から間を置かず、1809年3月、ゲオルク・アドラースパーレやカール・セデルストロームといった中堅の貴族将校らが電撃的なクーデターを敢行し、グスタフ4世を宮殿で拘束するという極めて直接的なやり方で革命を成功させた。
 手法としては軍事クーデターであったが、「1809年の男たち」と通称される革命集団はグスタフ3世の宮廷クーデター以来、権勢を喪失していた貴族階級に属しており、絶対君主制の廃止と新たな統治法(憲法)に基づく立憲君主制の回復を明確な目的としていたから、これは一つの立憲革命であった。
 この革命を主導した集団が1792年のグスタフ3世暗殺の背後にあったと見られる集団と同一かどうかは、暗殺事件の背後関係の解明が完全にはなされなかったため、判然としないが、絶対君主制の時代に逼塞していた貴族階級は、革命としては失敗に終わった暗殺事件の後も、雌伏して時機を待っていたものと思われる。
 1809年の革命では、4世は暗殺されることなく、廃位されるにとどまった。4世は退位して同名の王太子グスタフに譲位することで妥協しようとしたが、新政府はこれを拒否し、グスタフ4世子女の王位継承を否定、4世の叔父に当たるカール13世を新国王に推戴したのである。
 カールと言えば、グスタフ3世時代の1789年の陰謀に際しても、首謀者集団によって新国王に担がれることが目論まれていたが、彼がこれを拒否したことで失敗に終わった経緯がある。
 遡れば、カールは1772年の兄王の反動クーデターに協力しており、決して立憲君主制の支持者とは言えなかったが、すでに高齢で、継嗣もないことから、当面の「つなぎ」として革命派に担がれたものと考えられる。
 こうして、グスタフ3世・4世父子による37年に及んだ復刻絶対君主制の時代は突然強制終了したが、その最大の要因は対ロシア戦争の敗北であった。このことがなければ、他の大陸欧州がまだ反動の時代にあった1809年の時点で立憲革命は成功していなかっただろうという点では、敗戦が革命の動因となった後世のロシア革命等との共通性も見られる。


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