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近未来日本2050年(連載第1回)

2015-05-15 | 〆近未来日本2050年

 

 本連載の目的は、2050年の日本社会を予測し、描写することである。2050年と言えば、今からちょうど35年後である。35年と言うと、ほぼ一世代が経過した近未来に相当する。筆者の世代は「後期高齢者」として、残り少ない日々を過ごしている頃である。
 一方、その頃各界の指導層に就いているのは、現在おおむね10代後半から30代半ばくらいまでの青年層であり、政治指導者もこの世代から輩出されているだろう。従って、2050年の日本社会の予測とは、かれらが指導する社会がどのようになっているかという予測を意味している。
 ここで結論を先に述べれば、筆者は「議会制ファシズム」の社会と予測する。「議会制ファシズム」という語は現時点ではほとんど耳慣れないが、筆者の仮定義によれば、形式上は議会制を維持しつつ、議会制の枠組みでファシスト政党が政権党として統治する体制をいう。
 この点、筆者は戦後日本の歴史を振り返る連載『戦後日本史―逆走の70年―』の末尾で、「最終ゴールはまだ視界にはっきりととらえられているわけではないが、行く手にうっすらと浮かび上がって見えるのは、議会制の枠組みを伴いつつ、ファッショ的色彩を帯びた管理主義的かつ選別・淘汰主義的な国家社会体制である。」という予測を示しておいた。「議会制ファシズム」とは、上記の予測をひとことでまとめた術語である。
 よって、本連載は前連載で概観した戦後日本史を踏まえて、さらに向こう30年内外の近未来を予測しようとするものであるが、いろいろな意味で戦後日本史の大きな転換点を画する重要な年となるであろう今年2015年にこのような予測を立てることには意義があると考えられる。
 今年2015年は、言わば70年近い「逆走」の中間総括のような年度であり、筆者の予測によればここから一路、「議会制ファシズム」へ向けて進んでいく新たな基点となる年である。
 予測される「議会制ファシズム」の社会が実際どんな社会なのかということについては、おいおい明らかにしていくが、初めにことわっておくと、それは戦前のいわゆる軍国主義や、ナチズムのような狂信的ファシズムの単純な復刻ではない新型の、ある面では「民主的」なファシズムの社会である。と同時に、いくつかの重要な点では軍国主義やナチズムとも重なる要素が観察されるであろうような社会である。
 その描写をもって楽園的ユートピアとみるか、それとも地獄的ディストピアとみるかは、各自の価値観しだいであり、本連載ではどちらとも判定することはしない。ただ、少なくとも筆者にとってはディストピアとなるに違いないが、幸いその頃にはお迎えが近づいているので、彼岸への亡命が許されることを期待している。


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