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近代革命の社会力学(連載第100回)

2020-05-04 | 〆近代革命の社会力学

十六 中国共和革命:辛亥革命

(1)概観
 中国の歴史は、古代以来、ある意味では革命の歴史であった。「革命」という漢語自体、前近代中国におけるいわゆる易姓革命論に由来する用語が、近代革命論の文脈でもそのまま流用されてきたものである。
 易姓革命論によれば、天―中国伝統宗教では「神」に匹敵する至高の采配者―は、自身の代理として王朝に地上の統治を授権するところ、地上の王朝が徳を失い堕落したときには、天が王朝を見切り、天[あらた]める、すなわち革命が生じ、姓を易[か]える、すなわち王朝が交代するとされる。
 これは儒教の政治思想に基づくものであって、西洋近代的な政治思想としての革命論とは異なるが、英語で革命を意味するrevolutionにも、revolve=回転するという含意がある限りでは、巡り巡る変動という中国的な易姓革命論とも共有する部分があると言えるかもしれない。
 とはいえ、中国の伝統的な革命論は机上論ではなくして、実際の政治においても適用され、中国における王朝交代のほとんどは中国的な意味での革命によっている。しばしば禅譲という形式を踏むことはあっても、その実態は政治的な圧力によって前王朝の皇帝に譲位を迫った結果である。
 もっとも、こうした易姓革命の歴史は13世紀、外来勢力モンゴル人が建てた元朝による中国支配をもってひとまず終焉し、その後は漢民族による奪回王朝としての明朝、さらにもう一度外来勢力女真族が建てた清朝と、漢民族と外来民族の間での王朝交代劇が続く。
 中国における革命の歴史を大きく転回させたのは、20世紀に入って1911年に勃発したいわゆる辛亥革命である。易姓革命がいずれも王朝の交代という形を取り、帝政自体は踏襲されていたのに対し、辛亥革命では清朝が打倒されたのみならず、始皇帝以来二千余年の歴史を持つ帝政自体が廃止され、中国史上初の共和制に移行したからである。
 もっとも、17世紀末以来、清朝の版図であった台湾では、日清戦争後、1895年の下関条約で約定された日本への台湾割譲に反発する官僚ら有志が共和政体の「台湾民主国」の樹立を宣言したことがあった。
 これは清朝に対する革命ではなく、独立運動の一形態ではあるが、厳密には「台湾民主国」が辛亥革命に先行する中国史上初の近代的共和制の事例であったとも言える。しかし、「台湾民主国」はその体制が固まる前に、進駐してきた日本軍によって駆逐された。
 そのため、辛亥革命は中国における近代革命思想に基づく初の成功した共和革命として位置付けることができる。この革命は、革命成功年の西暦1911年の干支を当てはめて古風に「辛亥革命」と通称されるが、当連載ではあえて「中国共和革命」と称することにするのも、そのためである。
 中国共和革命は20世紀に入ってアジア・アフリカ地域でも続発していく同種の共和革命の先駆けのような位置付けを持つ革命であり、実際にその波及性は大きく、間接的には、中国とも国境を接するロシアの1917年革命にも反響した可能性がある。
 他方において、中国共和革命は最終的に失敗した革命でもあり、その代償は各地の軍閥支配と長期の内戦、帝国日本による侵略・占領、共和革命の産物でもある国民党と共産党の台頭による国共内戦という40年近くに及ぶ内憂外患であった。


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