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松本清張没後30周年

2022-08-04 | 時評

今日で、作家・松本清張没後30周年である。30年と言えば一世代であるから、清張もすでに一世代前の昭和の作家ということになるが、依然として主要作の文庫本が広く流通し、清張作品をベースとするドラマなども制作されているところを見ると、没後一世代を経ても息長く読み継がれている稀有の作家である。

筆者もかつて清張文学を愛読した時期があったが、その頃は娯楽小説的に上滑りな読みをしていたように思える。今、改めて読み直してみると、清張は戦後日本で最高のリアリズム文学の生産者ではなかったかと感じる。

リアリズムといってもいわゆるプロレタリア文学とは明確な一線を画した、階級横断的な普遍性と娯楽性も備えた「反骨リアリズム」といったものである。あえて欠点―見方によっては長所―を言えば、リアル過ぎて耽美さゼロ、砂を噛むような文体になることが多い点だろうか。

松本文学は時事的あるいは歴史的な社会問題に切り込む社会批判(時に風刺)を伴った啓発性と娯楽性とを兼ね備えている点でも稀有と言える。通常、小説に啓発性を持たせれば文章は説教調となり、娯楽性を追求すれば啓発性は脇に置かざるを得ず、両要素の両立は困難なはずだからである。

その意味で清張を「推理作家」とみなすのは、正確と思えない。まして「ミステリー作家」ではない。「社会派推理作家」という呼び方もあるようだが、清張作品はそのジャンルが広汎かつ総合的であり、いちおう推理小説に分類できる作品であっても、そこには何らかの社会批判が込められており、単なる推理小説以上のものである。

清張作品が描く舞台は清張全盛期の昭和30乃至40年代が中心だが、その舞台は昭和中期の懐かしくもまだ貧困が遍在していた時代の香りを放つと同時に、主題的には今日性を失っていない。没後30年を経ても多くの作品がまだ読み継がれ、TVドラマ化も続いてきたゆえんであろう。

稀有の作家であり、昭和の文豪―文豪と呼び得る最後の一人かもしれない―に含めてよい存在である。従って、清張の推理小説ジャンルの部分的な継承作家はあっても、歴史小説やノンフィクション作品をも含めた真の継承者と呼び得る日本語作家はこれまでのところ存在しない。

海外に取材し、外国を舞台にした作品も少なくなく、広い国際的視野を備えていた点でも、日本語作家としては稀有の存在であり、海外でももっと翻訳紹介される価値があるだろう。その文体は平明かつ論理的であるため、英語をはじめ日本語と系統を異にする外語への翻訳はそう困難ではないはずである。


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