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戦後日本史(連載第27回)

2013-11-05 | 〆戦後日本史―「逆走」の70年―

終章 「逆走」の行方:2009‐

〔一〕民主党政権の成立

 安倍内閣が1年で挫折した後、後任に就いたのは、福田赳夫元首相の息子で、安倍と同じ派閥に属しながら穏健派の福田康夫であった。最右派安倍の後任により穏健な福田が座ったのは、安倍内閣への国民的警戒感が07年参院選大敗を招いたことに配慮したある種の微調整が働いたせいであっただろう。
 けれども、福田内閣も07年参院選で作り出された「ねじれ」を乗り切ることはできず、1年余りで退陣、後任には麻生太郎が就く。
 母を介して戦後の「逆走」の流れに先鞭をつけた吉田茂の孫に当たる麻生は元来、宮沢喜一元首相の流れを汲む比較的リベラルな派閥に属していたが、イデオロギー的には明らかに安倍と近い関係にある右派であり、小泉・安倍両政権下でも総務相や外相の要職を歴任していることから、森首相以来四代続けて首相を出した最右派かつ最大派閥の後ろ盾を得ていた。
 08年9月に発足した麻生内閣が最初に直面したのは、いわゆるリーマン・ショックを契機とする金融危機と世界同時不況であった。「百年に一度」とも評され、1929年大恐慌の再来も懸念される中、麻生内閣は緊急経済対策を打ち出すが、焼け石に水のごとくであった。
 ここで小泉政権時代に突破口が開かれた非正規労働の拡大がマイナスに効いてくる。08年末から翌年頭にかけては危機の中で解雇された派遣労働者を中心とする大量の失業者が事実上ホームレス化し、人道団体の仲介で政府や東京都が一時的な宿泊所を提供する「派遣村」が出現するなど、危機的状況に陥った。
 出口の見えない経済危機の中、麻生内閣は首相自身のジョーク交じりの失言癖もマイナスに作用して支持率が落ち込み、野党側からは衆議院解散要求が出るが、敗北を恐れる連立与党は解散に踏み切れなかった。
 解散時期を先延ばしにした末に09年7月、麻生首相がついに解散・総選挙を決定するも、結果は予想を超えた自民・公民連立与党の歴史的な惨敗であった。自民党は獲得議席が半減以下となり、結党以来初めて衆議院でも第一党の座を野党・民主党に明け渡すこととなった。
 こうして09年9月、戦後初めて実質上完全な形の政権交代が実現し、地滑り的勝利を収めた民主党が政権に就く。新政権は与党第一党民主党を筆頭に、社会民主党―自民・民主両党と連立を組んだ日和見政党は同党唯一である―、国民新党を加えた連立政権としてスタートした。
 この連立組み合わせからも、早々から施政方針が大きくぶれるこの政権の雑多な性格がみてとれるが、辛うじて性格づけするとすれば、新政権は中道保守・右派に中道左派が相乗りした総中道政権であったと言えるであろう。となると、99年来急進化していた「逆走」の流れは、さしあたりよどむことになりそうであった。


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