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リベラリストとの対話―「自由な共産主義」をめぐって―(9)

2014-11-23 | 〆リベラリストとの対話

7:貨幣経済廃止について③

コミュニスト:前回対談の最後に、私見が計画経済の適用範囲を環境負荷的産業に限定し、その余は自由生産‐物々交換に委ねるとしていることについて、それでは計画によって事前調整されず、なおかつ「財布」による事後調節もされない、まさにアナーキーな生産活動が立ち現れる恐れがあると指摘されました。

リベラリスト:はい。それでは結局のところ混合経済体制であって、混合された要素の欠陥が相乗効果的に現れるという諸国で繰り返されてきたパターンにはまるだけだと思うのです。

コミュニスト:ということは、それこそ靴の生産まで含めて計画経済を貫徹すべきだということでしょうか。

リベラリスト:貨幣なき計画経済体制の正当性を強調されるなら、すべてを計画生産することを恐れる必要はあるのでしょうか。

コミュニスト:しかし、私が「自由な共産主義」という一見自己矛盾的な理念を提出したのは、計画経済の適用範囲を限定しつつ、その余は自由な物々交換や贈与に委ねるという仕組みを想定しているからです。

リベラリスト:初めに概念ありきならば、それはまさにイデオロギーでしょう。物々交換というのは、実は貨幣交換の原型ですから、物々交換を広範に認めるなら、実質上は貨幣経済と同じことであり、貨幣経済を廃止したことにならないのではないでしょうか。イデオロギーとしても一貫性を欠いています。

コミュニスト:初めに概念ありきだとは思っておりません。物々交換はたしかに貨幣経済の歴史的な母体ではありますが、貨幣という定型的・定量的な交換専用手段がある貨幣経済と、そうした交換専用手段を欠く物々交換とはイコールで結べないと思います。物々交換は大量的・定型的取引には不向きですから、取引はより個人性の強いものとなっていくでしょう。

リベラリスト:なるほど。ただ、そうなると、計画経済が適用されない分野―あなたが挙げた靴を例にとりましょう―では、需給関係の調節や環境的持続性への配慮などはなされず、アナーキーになるでしょう。

コミュニスト:計画経済の適用外のものは、必ずしも生活必需的とは言えない小物の生産などが中心になりますので、若干アナーキーであってもよいでしょう。それに、そうした分野でも、環境的持続性については製品の質や生産方法まで含め、環境法の規制が現在よりずっと厳しくなります。需給調節についても、現在資本制企業で個別に行なわれている需給見通しなどは、共産主義でも継承できることでしょう。

リベラリスト:しかし、靴は生活必需品ではありませんかね。それとも、共産主義社会では皆裸足ですか。ともあれ、貨幣交換がアナーキーに見えて、事後調節的に需給調整の機能を持っているという事実は、否定できないでしょう。その点、貨幣経済を廃止した場合はまさに経済計画が経済の均衡を図るうえで必須となるわけで、「自由な共産主義」によって計画経済の適用範囲を限定することに伴う経済混乱の恐れについては、もっと熟慮が必要ではないかと思います。

コミュニスト:わかりました。ちなみに、共産主義社会でも靴は必需品ですが、日用の消耗靴などは、消費分野の経済計画である「消費計画」の中に含めてよいと思われます。それに対して、お洒落靴のような驕奢品は、計画経済の適用外でも問題ないでしょう。

リベラリスト:あなたの「自由な」共産主義体制では、そのようにどこまでが計画経済の範囲内なのかの振り分けで相当苦労するのではないでしょうか。そこを誤ると、やはり経済混乱が避けられないように思われます。

※本記事は、架空の対談によって構成されています。

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