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近代科学の政治経済史(連載第52回)

2023-03-10 | 〆近代科学の政治経済史

十 宇宙探求から宇宙開発へ(続き)

ドイツ宇宙旅行協会とロケット開発
 以前の稿でも触れたように、ナチスドイツはロケット開発の先駆者となったが、その契機は前回も見た宇宙旅行協会(以下、協会)の設立であった。1927年設立当初の協会は民間のロケット愛好家の任意団体にすぎなかったが、ここには後にV2ロケット開発に携わるフォン・ブラウンら有力な科学者も参加していた。
 そうしたことから、協会は単なる愛好者団体を超えて、民間でのロケット開発プロジェクトに進むことになったが、資金不足は否定のしようがなかったところ、1930年にドイツ軍の協力を仰ぐことに成功したことが転機となる。その結果、弾薬集積所跡地を借り、ロケット発射試験場を開設することができた。
 このベルリンロケット発射場は史上初のロケット発射場となり、1933年にかけて液体燃料ロケットの発射実験が多数回にわたり行われ、最大で1000メートル以上の打ち上げに成功した。
 この間、ドイツの軍備制限を規定していたベルサイユ条約がロケット開発の制限を想定していなかった抜け穴に着眼した陸軍兵器局が協会にロケット打ち上げ契約を持ちかけたが、これを巡る内部対立から協会は分裂した。
 結局、1933年に協会は事実上活動停止状態となったが、軍との協力に積極的だったフォン・ブラウンが陸軍兵器局に引き抜かれたことで、ドイツのロケット開発が陸軍主導で行われる契機となる。
 時はちょうどナチスの政権掌握と一致しており、ロケット開発は軍備増強を推進するナチスの政策にもマッチしていた。フォン・ブラウンは自身もナチ党員となり、1937年以降はペーネミュンデ陸軍兵器実験場の技術責任者としてドイツの新鋭兵器開発をリードした。
 ペーネミュンデ陸軍兵器実験場はロケット開発に特化した施設ではないが、航空兵器開発を専門とし、中でも最大プロジェクトであったロケット開発にはフォン・ブラウン他、多くの協会員が参画した。
 その結果完成されたのが、世界初の液体燃料ミサイルであるV2ロケットである。1940年には開発計画を察知したイギリス軍によってペーネミュンデ陸軍兵器実験場が爆撃を受けるという妨害も入ったが、1942年に三度目の発射実験で史上初めて宇宙空間まで到達する飛翔体となった。
 このように、ドイツのロケット開発は民間主導で始まり、ナチスの台頭を経て軍需分野に移行して、第二次大戦ではロケットが新型兵器として実戦投入されたのであった。これは厳密な意味での宇宙開発からは逸れたロケットの活用であったが、ナチスが存続していれば、先駆的な宇宙開発へ進んだ可能性はあったであろう。
 戦後、敗戦国ドイツのロケット技術に目を付けたアメリカとソ連、さらにはフランスもドイツ人科学者を免責して引き抜き、それぞれのロケット開発に協力させたことが戦後の宇宙開発競争の引き金ともなったのは皮肉である。


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