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近代科学の政治経済史(連載第51回)

2023-03-06 | 〆近代科学の政治経済史

十 宇宙探求から宇宙開発へ(続き)

宇宙飛行の空想と理論
 ケプラー、ニュートンを経て天文学は天体観測を中心とした天文学から物理学の一環としての天体物理学へと昇華されたが、そこから宇宙空間に無人もしくは有人の飛翔体を飛ばして宇宙を探査する段階へ進むにはなお歳月を要した。
 最初の手がかりとして、天体望遠鏡の発達がある。ここでもケプラーとニュートンの寄与は大きく、ケプラーがそれ以前の低倍率のガリレオ式望遠鏡を革新する望遠鏡の原理を発明すれば、ニュートンは鏡を組み合わせた反射式望遠鏡を発明し、天体観測の精度を向上させた。
 こうして高倍率の望遠鏡で天体をより視覚的に観測できるようになると、宇宙空間への実地探査という着想も生まれる。しかし、飛行機さえも空想の域を出なかった時代、宇宙飛行は科学ではなく、文学的空想であった。
 その点、17世紀フランスの作家シラノ・ド・ベルジュラックは『月世界旅行記』でロケットによる月面探査という空想を文学として描き、サイエンスフィクションの先駆けを成したが、19世紀には同じくフランスのSF作家ジュール・ヴェルヌが『月世界旅行』で同様のモチーフをより疑似科学的に描いた。
 1902年にはヴェルヌ作品にも触発され、月旅行を映像化したサイレント映画としてフランスのジョルジュ・メリエス監督による『月世界旅行』が公開され、話題作となり、宇宙飛行がより視覚的なイメージでとらえられる契機となった。
 しかし、科学的な宇宙飛行理論に関しては、帝政ロシアの物理学者コンスタンチン・ツィオルコフスキーが1897年にロケット推進原理に関する数理的な公式(ツィオルコフスキーの公式)を発表したのが嚆矢である。
 ツィオルコフスキーは引き続いて、液体水素と液体酸素を燃料とする流線型ロケットの設計や宇宙ステーションの構想などを科学的な予想理論の形で提起するが、そのあまりに先駆的過ぎた理論は海外ではもちろん、ロシア国内ですらソヴィエト時代まで顧みられることはなかった。
 他方、有人飛行機が発明されたアメリカでは、1919年に工学者・発明家ロバート・ゴダードがツィオルコフスキーとは別個に、液体燃料ロケットによる月旅行の可能性を科学的に構想した。彼は理論予想にとどまらず、1926年には実際に初の液体燃料ロケットを発明し、その打ち上げに成功した。
 もっとも、これは飛翔時間約2.5秒、飛翔距離約56メートル、高さにして約12.6メートル程度という完全にモデル実験的な「打ち上げ」であったが、液体燃料ロケットを飛翔させることが原理的に可能であることを初めて示したのである。
 一方、ドイツでも工学者ヘルマン・オーベルトが1923年に論文『惑星間宇宙へのロケット』を発表したことを機に、1927年には様々な人士を擁するドイツ宇宙旅行協会が設立され、ドイツがロケット技術で先行する契機となった。


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