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「東京六月政変」に想う

2016-06-16 | 時評

東京都の舛添知事の辞任劇は、非常に後味の悪い政変であった。その理由を考えてみると、この政変は徹頭徹尾、メディア主導の大衆煽動の過熱の中で、ほとんどクーデター的に起きたからのようだ。

知事の問題行動は明らかであるが、これまでに指摘されている限りでは、その内容に汚職に相当するような重大性はなく、まさに海外でも注目されたキーワード「せこい」に象徴される姑息な公私混同が中心であり、即時辞任に値するものではなかった。

ただし、知事が議会の調査に対して非協力的で、あくまでも疑惑を糊塗しようとするなら、辞職勧告ないし不信任による失職に値したかもしれない。だが、そうしたプロセスをたどる前に、参院選を控える政党の思惑も絡み、辞職の結論が導き出されてしまった。結果として、疑惑解明の可能性は遠のき、その点では知事にとっても果実が得られた形である。

過熱を作り出したメディアの連日の糾弾報道や、自己の知識や憶測をテレビ局掛け持ちで得々として語って回る「ハシゴ・コメンテーター」たちも酷いものであったが、それによって作り出された「都民の怒り」を利用して、不透明な水面下での辞職過程を導いた政党の謀も醜い。

ただ、知事に対する非難がこれほど高まったのは、元来、「頭が切れ、有能で弁の立つ庶民的な知事」というついこの間までメディアが維持していた舛添像が虚像だったからである。虚像を信じていた人ほど裏切られた想いが怒りに変わる。

テレビ知識人から政界へ進出していった舛添氏は、1990年代から高まったテレビ主導の政治(テレ・ポリティクス)の申し子のような人物であった。政治資金問題などはメディアがその気になって調べればすぐにわかることなのに、記者クラブ制の下、日頃は翼賛報道に徹する大手メディアは、知事の虚像を守ることに貢献してきた。

そうしてメディア主導で作られ、守護されてきたイメージが、たった一本の報道をきっかけに一変してしまったのである。ただ、なぜ今この時期に?という疑問は残る。

ここから先は筆者の推測になるが、東京都が来年4月から都有地を在日韓国人の教育を行なう東京韓国学校の増設用地として貸与する方向で協議開始する旨を発表したことに伏線があったようだ。この件で、すでに都には多くの批判・抗議が寄せられていたという。(仮に貸与先が日本の学校法人だったら、どのような反応だっただろうか。)

この唐突に見える発表は、「都市外交」を掲げる舛添知事が就任後間もなく行なった訪韓、朴槿恵大統領との会談の中で、韓国人学校の整備について支援を要請されたことが契機になっていると見られている。

これは反韓派にとっては許し難い「特権」付与と映り、保守系メディアを動かしての「クーデター」となったのではないか。マス・メディアがこの件に一切触れないことも、こうした推測の消極的根拠となる。もちろん行動に隙のあった知事にも問題はあり、問題発覚当初の開き直り対応も墓穴を掘ったのではあるが。

いずれにせよ、テレビで名を売った「人気者」が当選するというテレ・ポリティクスの流れが変わらない限り、形は違えど、当選後に虚像が崩れる政治家は今後も跡を絶つことはないだろう。

ここでも、民衆自身が名実共に政治の主人公となる民衆会議制度の効用を主張したいところであるが、当記事で繰り返しの展開は避ける。


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