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晩期資本論(連載第63回)

2015-09-08 | 〆晩期資本論

十四 銀行資本と信用制度(1)

信用制度の一方の面は貨幣取引業の発展に結びついており、この発達は当然、資本主義的生産のなかでは商品取引業の発展示と同じ歩調で進んでいく。すでに前の篇(第十九章)で見たように、事業家の準備金の保管、貨幣の受け払いや国際的収支の技術的操作、したがってまた地金取引は貨幣取引業者の手に集中される。この貨幣取引業と結びついて、信用制度のもう一方の面、すなわち利子生み資本または貨幣資本の管理が、貨幣取引業者の特殊な機能として発展する。貨幣の貸借が彼らの特殊な業務になる。

 こうした特殊業務としての貨幣貸借がむしろ中核業務となったのが、近代的な銀行制度である。「貨幣資本の現実の貸し手と借り手とのあいだの媒介者」となった「銀行は、一面では貨幣資本の集中、貸し手の集中を表わし、他面では借り手の集中を表わしている」。

まず第一に、銀行は産業資本家たちの出納係であるから、銀行の手中には、各個の生産者や商人が準備金として保有する貨幣資本や彼らのもとに支払金として流れてくる貨幣資本が集中する。

 こうした「商業世界の準備金は、共同の準備金として集中される」という形で、銀行は「貨幣資本の一般的な管理者」ともなる。

第二に、銀行の貸付け可能な資本が貨幣資本家たちの預金によって形成され、彼らはこの預金の貸出を銀行に任せる。さらに、銀行制度の発達につれて、またことに、銀行が預金に利子を支払うようになれば、すべての階級の貨幣貯蓄や一時的な遊休資本は銀行に預金されるようになる。それだけでは貨幣資本として働くことのできない小さな金額が大きな金額にまとめられて、一つの貨幣力を形成する。

 こうした銀行の小資金集積機能は、マルクスの時代にあっては「銀行制度の特殊な機能として、本来の貨幣資本家と借り手とのあいだでの銀行制度の媒介機能からは区別されなければならない。」とも付言されていたが、現代資本主義では貸付と並ぶ銀行の中核的機能として定着している。

最後に、少しずつしか消費できない収入も銀行に預金される。

 これも周知のとおり、現代資本主義では労働者階級も多くは銀行に預金口座を保有し、小額消費に充てる賃金収入等を預金しているところである。ここにおいて、銀行は全階級横断的な「貨幣資本の全般的な管理者」として経済支配力を持つに至る。

・・・・銀行業者が与える信用は、いろいろな形で与えられることができる。たとえば、他行あての手形、他行あての小切手、同種の信用開設、最後に、発券銀行の場合は、その銀行自身の銀行券によって与えられる。

 この記述は金本位制時代の兌換銀行券を前提としており、金本位制度が廃され、銀行券の発行権限を中央銀行に集中する体制が一般化した現代ではすでに失効している。むしろ、「実際には銀行券はただ卸売業の鋳貨をなしているだけであって、銀行で最大の重要性をもつものはつねに預金である。」という付言のほうが、より現代の銀行制度に適合的である。

種々の特殊な信用制度は、また銀行そのものの特殊な諸形態も、われわれの目的のためにはこれ以上詳しく考察する必要はない。

 マルクスの時代には、一般的な銀行以外の信用制度や特殊銀行は未発達であり、特段論及の必要はなかったであろうが、現代資本主義では労働者階級を顧客とする消費者信用も重要な信用制度として定着しているし、信託銀行や投資銀行のような特殊銀行も発達し、一般銀行とともに金融インフラを形成しているところである。


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