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リベラリストとの対話―「自由な共産主義」をめぐって―(12)

2015-01-18 | 〆リベラリストとの対話

10:環境計画経済について③

リベラリスト:計画経済が最も苦手とする分野は、農業―広くは第一次産業―ではないでしょうか。ソ連型の計画経済が挫折した要因の一つとして、農業集団化の失敗があったと思います。自然の産物を育て、収穫する営為である農業は、人為的な計画に最もそぐわないものです。

コミュニスト:ですが、植物を工場で栽培する工場栽培のような技術が資本主義の下でも現れて始めていることからすると、農業が計画経済の完全な対象外とは言えなくなるのではないでしょうか。

リベラリスト:あなたの環境計画経済は、野菜果物が完全に工場で栽培される未来社会を想定しているのですか。

コミュニスト:そうではありませんが、さほど遠くない未来、ひょっとするとまだ資本主義の段階から工場栽培のウェートが相当に高くなるのではないかと予測しています。未来の環境計画経済も、その延長上に置かれるのではないかと考えられないでしょうか。

リベラリスト:私は、世界中で個人農業は減少し、食品資本や流通資本が直営する大農場が増加するだろうと予測していますから、工場栽培の拡大とともに、資本主義的な農業の集約化は避けられないだろうと見ています。共産主義的な計画農業もそれを継承するというなら、本質的にはどう違うのでしょうか。

コミュニスト:共産主義的な集約農業は、当然営利資本が経営するのではなく、公的な農業生産機構が運営する非営利的な農業ですから、見かけは同じでも内実は全く違います。

リベラリスト:言わば、旧ソ連の国営農場ソフホーズのようなものですね。しかし、旧ソ連ですら、ソフホーズの割合はそう高くなく、協同組合型のコルホーズが高いウェートを占めていたはずです。

コミュニスト:ソ連でも次第にソフホーズが増加していたのです。私は、コルホーズや個人農業を前提とした日本の農協制度のような中途半端な農業集団(合)化ではなく、環境的持続可能性を織り込んだより計画性の高い農業生産体制として、農業生産機構による統一的な農産を提唱しているところです。

リベラリスト:それは一方で、地方分権的にも運営されるというのですから、やはり中途半端になる可能性はあるでしょう。それに、私の祖国アメリカのように広大かつ反集権的な風土のところでは、そうした統一的な農産体制は無理のように思えます。

コミュニスト:農産は地域差が大きいので、地域的な特色を考慮した柔軟な分権は必須です。アメリカは分権が得意でしょうから、さほど心配は要らないのでないでしょうか。

リベラリスト:農業はよいとして、漁業はどうでしょう。こちらは養殖を別として、自然の生き物を捕獲する狩猟の一種であるからして、いよいよもって「計画」は妥当しないでしょう。

コミュニスト:漁業分野では、水産資源の持続可能性を維持するための漁獲割当という形の計画漁業が実現されます。農業とは別組織となりますが、水産機構のような統一的生産組織が設立されることになるでしょう。ちなみに、樹木を伐採する林業にも同様のことが当てはまります。

リベラリスト:興味深いお話ですが、私が理想とする第一次産業は、適切な環境規制・安全規制の下に、一定以上の規模の資本が直営する創造的かつ集約的な生産体制です。

コミュニスト:思慮深いお考えだとは思いますが、「適切な環境規制・安全規制」と「資本が直営する創造的かつ集約的な生産体制」が理想的に両立するかどうか、私は極めて疑問に思います。

※本記事は、架空の対談によって構成されています。

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