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沖縄/北海道小史(連載第1回)

2013-12-03 | 〆沖縄/北海道小史

第一章 長い先史時代

【1】両辺境の先住民
 沖縄/北海道は、日本の南北の辺境地域である。ほとんどすべての国で言えることだが、辺境地域の先住民は中心地域の住民とは元来民族的に異なっていることが多い。日本の両辺境もその例外ではなく、沖縄/北海道の先住民は本来、本土の日本人とは異質であった。というか、両辺境の先住民は「本土の先住民」である縄文人と系統的に近かったというのが、近年の遺伝子系譜学的な結論である。  
 1967年に沖縄本島南部で発見された1万7千年ほど前の人骨港川人は縄文人の祖とみなされてきたが、近年は疑問視されている。ただ、港川人が縄文人の亜種もしくは祖型である可能性は残り、港川人と縄文人をつなぐミッシングリンクの解明は今後の課題とされる。
 一方、沖縄といっても沖縄本島から300キロ以上離れた先島諸島はまた異質であり、ここでは縄文系文化は見られず、むしろマレー‐ポリネシア系の台湾先住民文化とのつながりが濃厚に確認されている。つまり、この地域は後に琉球王国版図に組み込まれるまで、マレー‐ポリネシア系民族の勢力圏であったと考えられる。
 いずれにせよ、沖縄地域では九州を中心とした本土日本人の移住の波が起きる10世紀ないし11世紀頃まで、先住民固有の社会が持続していくのである。
 他方、北海道の先住民は縄文人であったが、5世紀頃からより北方のオホーツク文化圏に属する異民族の北海道移住の波があり、北海道縄文人はこのオホーツク文化人とも混血・同化しつつ、いわゆるエミシ(蝦夷)民族となった考えられる。これが中世以降になって、いわゆるアイヌ民族として確立されていく。
 アイヌは日本列島最北の地に居住していながら身体的に寒冷地適応を遂げていないことが特徴であり、本来は縄文人を基盤とする南方系の民族であったが、生活様式的には寒冷地に適応し、近世まで北海道の主要民族として独自社会を営んだ。
 こうして日本の金属器時代に当たるいわゆる弥生時代以降、本土の縄文人たちが朝鮮半島を中心とする大陸部から移住してきた農耕民系の異民族勢力に同化吸収されていく中で、両辺境はなお長きにわたり、先住民の勢力圏であり続けたのであった。

【2】狩猟採集経済の持続
 沖縄/北海道両辺境の先住民社会の基本は、狩猟採集経済であった。このように本土よりも長い間狩猟採集経済が持続した理由は両辺境が本土よりも後進的であったということにあるのではなく、両辺境地帯が長きにわたり農耕民族の侵入を免れたことが大きい。その間、顕著な人口増加もなく、狩猟採集経済の枠内で環境的にも持続可能な自足社会が維持できていたのである。
 このようなことは辺境地帯ではありがちなことである。考えてみれば、本州を含む日本列島自体が東アジアの辺境に当たる離島群であって、本土でも狩猟採集経済を主軸とした―晩期には限定的に焼畑農耕が開始されていたと推定されている―中・新石器時代に相当する縄文時代が、1万年以上という気が遠くなりそうな歳月にわたって持続したのであった。 
 つまりメソポタミアやエジプト、あるいは中国大陸でも農耕を基盤とする文明社会が形成され、歴史時代に入っても、日本列島ではなお先史時代が続いていたわけだが、これも後進性のゆえではなく、狩猟採集経済が持続可能であったからである。そうした辺境日本のさらなる南北辺境に当たる沖縄/北海道では、本土にもまして長い間、狩猟採集経済が持続し得たのであった。


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