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近代革命の社会力学(連載補遺1)

2019-10-31 | 〆近代革命の社会力学

六ノ〇 スウェーデン立憲革命

(1)概観
 18世紀フランス革命と、それが終息した後、反動的なウィーン体制に対する反作用として勃発する1820年以降の欧州第一次連続革命との間をつなぐ時間軸の中に位置するのが、スウェーデンにおける1809年の立憲革命である。
 スウェーデンでは、スウェーデン帝国主義を象徴する絶対君主であったプファルツ朝カール12世が没した後、ホルシュタイン‐ゴットルプ朝への王朝交代に伴い、中世的な身分制議会の権限が増し、君主権が形骸化する中、「自由の時代」と呼ばれる一時代を迎えていた。
 この時代の1766年には、世界に先駆けて出版自由法が制定され、神学的言論を除いて検閲が廃止されるなど、アメリカ独立革命やフランス革命にも先行して、近代的な自由主義が花開いていた。その経済的土台は、なお中世の身分制に基づき、農民階級の政治参加は制限されていたが、この時代のスウェーデンは立憲君主制へと向かっていた。
 これを転覆したのが、ホルシュタイン‐ゴットルプ朝二代目のグスタフ3世であった。彼は1772年、自ら宮廷クーデタ―を起こして全権を握り、「自由の時代」の諸成果を覆す改悪に乗り出したのであった。彼の治世中、1789年にはフランス革命が勃発するが、これに対しては反革命派の急先鋒となり、同年に連合及び保安法を制定して、再び絶対君主制への反動化を明確にした。
 グスタフ3世は1792年に元近衛士官により暗殺されたが、彼の反革命反動政策は息子のグスタフ4世に継承され、親子二代にわたる反動統治はフランス革命に並行する全期間中続いたが、1809年に突然終了した。この年、反動統治に不満を持った貴族・軍人らが革命的に決起し、グスタフ4世を拘束、廃位に追い込んだからである。
 この立憲革命後に制定された新たな統治法(憲法)は三権分立に基づく近代的な立憲君主制を志向する内容のもので、同時代の大陸欧州では、ナポレオン帝政に変質していたフランスを含め、先駆的であった、他の大陸欧州諸国が来る連続革命で目指したものをスウェーデンは先取りしていたとも言える。
 もっとも、グスタフ4世に代わって王位に就いたカール13世でホルシュタイン‐ゴットルプ朝が断絶した後、スウェーデン王に招聘されたナポレオン配下のフランス軍人ベルナドット改めカール14世は保守的で、真の立憲君主制の確立は、彼の子孫が歴代王となるベルナドッテ朝の下で、19世紀を通じて漸進的になされていく。


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