ザ・コミュニスト

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戦後ファシズム史(連載第31回)

2016-04-13 | 〆戦後ファシズム史

第三部 不真正ファシズムの展開

5‐5:ペルーの「フジモリスモ」
 フィリピンのマルコス体制が民衆革命で打倒されて数年後、南米のペルーでマルコスの手法をなぞるような体制が出現する。日系フジモリ大統領が主導した体制である。1990年の民主的な大統領選挙で政権が成立してから、「自己クーデター」と呼ばれる非常措置発動をはさんで10年間続いたこの体制は、言わば「遅れてきた開発ファシズム」であった。
 貧困な農業国だったペルーでは、1968年から75年まで続いた左派軍事政権以来、政治の左傾化が周辺南米諸国と異なる特徴となっており、フジモリが登場する直前も社会民主主義系アメリカ人民革命同盟のガルシア政権であった。
 しかし、ガルシア政権は銀行国有化や対外債務の一方的な帳消しなどの左派的政策が国際的な不信を招き、外国投資の停止にハイパーインフレが重なり、経済は壊滅状態に陥った。そうした中、ガルシア大統領の任期満了に伴う90年大統領選に登場したのが、当時政治経験のなかった農業工学者出身のフジモリであった。
 彼は、貧困層に訴える公約により、当時南米諸国でモードとなっていた新自由主義的な経済改革策を掲げ、知名度では圧倒的に勝る作家のバルガス‐リョサ対立候補を破って当選を果たした。日系人が多い南米でも歴史上初となる日系大統領であった。
 政権発足後のフジモリは公約を大幅に修正し、IMFと協調した経済改革を進め、従来の社会主義的な資源開発規制の撤廃を実現していった。ここまでなら、急進的な新自由主義政権であった。ところが、フジモリは92年、突如非常事態宣言を発し、憲法を停止したうえ、独裁権を掌握したのである。
 その口実とされたことの一つは、マルコスの場合と同様に左翼ゲリラの活動であったが、真の目的は議会で多数派を占める反大統領派を排除して、強権的な国家改造を進めることにあった。この手法は、ちょうどその20年前にフィリピンでマルコスが断行したのと酷似していた。
 この戒厳体制に等しい非常事態政府の下、トゥパク・アマル革命運動とセンデロ·ルミノーソという二大左翼ゲリラ組織の指導者の拘束に成功した。しかし一方で、国軍特殊部隊による一般市民の虐殺事件など後にフジモリ自身も罪に問われる弾圧事件が続発した。
 フジモリは93年に憲法を改正したうえ、95年の大統領選で圧勝し、形式上民主政に復帰した。しかし、実際のところは秘密警察機関(国家諜報局)を通じた盗聴やメディア統制などの全体主義的な統治が行なわれたほか、人口調節を名分とした30万人にも及ぶ先住民女性への強制避妊のような民族浄化政策も断行された。後者には米国や日本の団体も手を貸している。
 このようなフジモリ体制(フジモリスモ)はフジモリ自身が創設した「変革90‐新多数派」なる政党を基盤とするものであったが、この政党は明確なイデオロギーを持たないフジモリの政治マシンの性格が強く、ファシスト政党とは言えない。しかし、フジモリ政権の施策は実質的に経済開発を至上価値とするアジア的な開発ファシズムの性格が濃厚であったと言える。
 フジモリは自身が制定した93年憲法における三選禁止規定をかいくぐって2000年の大統領選にも出馬し、不正投票の疑いから対立候補がボイコットする中、三選を果たした。だが、直後に側近の実質的な諜報機関トップによる野党議員買収が発覚したことを契機に大統領にも疑惑が向けられる中、フジモリは外遊先から日本へ事実上亡命、これを受け、ペルー国会はフジモリを罷免し、フジモリスモは終焉した。
 ペルーでは民衆革命こそ起きなかったが、不正投票による多選狙いから失墜する終わり方も、マルコスの場合と類似していた。大きく異なるのは、フジモリはその後、ペルー司法当局から在任中の組織的人権侵害について刑事責任を問われ、禁錮25年の判決を受けたことである。この点に関しては、南米のいくつかの国で反共擬似ファシズムの軍事独裁政権指導者が2000年代以降に刑事責任を問われた先例が踏襲されたものと言える。
 また大統領側近による武器の不正取引、麻薬取引などの汚職や不正蓄財が発覚し、その一部についてはフジモリ自身も有罪となり、開発ファシズムに伴いがちな政治腐敗の体質も認められた。
 一方で、フジモリ失墜後のフジモリ支持勢力は娘のケイコ・フジモリが率いる保守系野党「人民の力」に再編され、ペルー国会で二大政党の一方を占めており、ケイコ自身が立候補した2011年の大統領選では決選投票まで進み僅差落選するほどの存在感を示した。なお、ケイコは16年大統領選にも再び立候補し、第一回投票で首位につけたが、またも決選投票で僅差落選した。


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