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近未来日本2050年(連載第13回)

2015-07-25 | 〆近未来日本2050年

三 思想/情報統制政策(続き)

新皇国思想
 戦前の軍国期には、明治憲法上神聖不可侵と規定されていた天皇がいっそう絶対化され、神権天皇制を「国体」として護持する思想統制が最大で死刑を科す治安維持法を通して厳格に行なわれたことから、「天皇制ファシズム」とも称される。しかし、本来ファシズムは世俗的政治思想であり、宗教性を帯びた天皇至上の「皇国思想」は言葉の真の意味でのファシズムとは言えない「擬似ファシズム」であった。
 それに対して、第一章でも想定したように、2050年時点の憲法上は天皇が明確に国家元首と位置づけられるが、天皇は明治憲法下のように神聖不可侵とはされず、世俗的な君主としての扱いにとどまり、天皇の政治的無権能と首相を行政長とする議院内閣制の仕組みも維持されるだろう。
 従って、軍国期のように天皇が大権をもって政治の前面に立つことはないが、国家元首として位置づけられることにより、単なる儀礼的な象徴天皇ではなくなり、名誉職大統領的な色彩が強まるとも想定した。その点では、議会制ファシズムにおける天皇の位置づけはいささか曖昧なものとなる。
 とはいえ、天皇制を公然否定することは国家尊厳法の反国家宣伝罪に該当する可能性があるため、事実上タブーとなる。また同法には天皇に対する名誉毀損を刑法上の名誉毀損罪より重く罰する特別規定が置かれる可能性もある。さらに教育現場では学校行事などの式典において、従来の国旗掲揚に加え、天皇の肖像写真(御真影)を掲示すべきことが通達されるようになるだろう。
 このように議会制ファシズム下における天皇は軍国期ほどに絶対的崇拝の対象として強制されないとしても、至上価値とされる国家の尊厳の中核を成す存在として敬重すべき対象とされているだろう。これを宗教色の強い軍国期の「皇国思想」と対比して、脱宗教化された「新皇国思想」と呼ぶ論者もいるが、世俗化されている分、本来のファシズムと重なるとも言われている。


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