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犯則と処遇(連載第15回)

2018-12-20 | 犯則と処遇

13 未遂犯について

 「犯則→処遇」体系の下では、犯則行為の成立に関わる理論上の問題でも、いくつかの重要な変容が生ずる。
 その一つは未遂犯に関する問題である。犯則行為に着手するも所期の結果が発生しなかった場合としての未遂犯は、「犯罪→刑罰」図式の下では、既遂犯よりも罪状が軽いとみなされやすい。このような発想は、殺人という結果の有無を偏重する応報刑論的発想の一つの帰結にほかならない。
 しかし、例えばAが強固な殺意をもってBの胸をナイフで刺し致命的な傷を負わせたが、Bは奇跡的に一命を取りとめたというように偶然の事情によって所期の結果が生じなかったにすぎない場合(偶発未遂)、「犯則→処遇」定式からすれば、偶発未遂犯は自己のあずかり知らない偶然の事情によって既遂犯となることを免れたにすぎない以上、反社会性向としては既遂犯と同等であり、処遇の上で既遂犯と区別する必要はないのである。

 処遇上既遂犯と区別すべき未遂犯とは、例えばAが殺意をもってBの胸をナイフで刺したが、ためらいがあり、強く刺さなかったため、Bは軽傷で済んだというように、故意が弱いために所期の結果が生じなかった場合(減弱未遂)である。
  減弱未遂犯も故意をもって殺人という犯則行為に着手した以上、一般的に反社会性向が低いとは言えないが、ためらいがあって故意が弱かったため目的を完遂できなかったという限りでは、病理性は低く、最大でも「第二種矯正処遇」が相当であろう。

 一方、犯則行為に着手しながらも自己の意思によって行為を中止して自ら結果発生を防止した場合(中止未遂)、「犯則→処遇」定式からすると、中止未遂犯といえども犯則行為そのものを見合わせたのでなく、いったんは犯則行為に着手した以上、軽微な反社会性向は認められ、最低でも「保護観察」に付する必要はあると言わざるを得ない。
 反面、中止行為者は単にためらうにとどまらず、故意を撤回して結果発生防止の努力をした限り、反社会罪性向の低さを示していると言える。
 そうだとすると、結果発生の有無を問わず、犯則行為に着手した後、自ら結果発生防止のための中止行為をした者は、最大でも「第一種矯正処遇」にとどめる特則が置かれるべきである。この意味で、「中止未遂犯」という概念は「中止犯」という包括的概念に吸収されることになる。


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