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貨幣経済史黒書(連載第8回)

2018-03-11 | 〆貨幣経済史黒書

File7:チューリップ・バブル事件

 貨幣経済は商取引を活発にするとともに、投機熱をも刺激する。もっとも、短期的な価格変動を見込んで利ざや稼ぎをする投機という経済行為の歴史は貨幣経済よりも古いようで、遊興としての賭け事と共通の根を持つ人類的慣習なのかもしれない。
 その点、貨幣経済下の商取引にあっては、物の価値が貨幣によって数量的に表象され、短期間で上下変動しやすいことから、投機のギャンブル性が高まり、人間の射幸心を刺激するのであろう。
 そうした投機熱がもたらした史上初のバブル経済とされる事象として、17世紀のオランダ(当時の国名ネーデルラント;現在のベルギーの一部にまたがる共和国であったが、本稿では便宜上オランダという)に起きたチューリップ・バブルがある。
 チューリップは元来、アナトリア地方原産の球根植物であり、欧州にはオスマン帝国からオーストリア帝国への贈呈品として16世紀半ばにもたらされたものが広がり、特にライデン大学植物園で量産栽培に成功したことからオランダで急速に人気を呼ぶようになった。
 問題はそれが愛好家の観賞で終わらなかったことである。オランダのような寒冷気候ではチューリップの開花期は4月‐5月期であるが、球根植物としての利点を生かして休眠期にも球根の現物取引が可能であるほか、先物取引の対象にもしやすい。
 そうしたことから、チューリップ取引は当時の金融先進地でもあったオランダでたちまち投機ブームを引き起こした。オランダは先物市場のパイオニアであったとはいえ、当時は商品取引所も取引ルールも未整備であり、現物が存在しない状態での取引はまさに投機的な空売りであった。
 危険性を察知した当局は空売り禁止令をたびたび発したが、取引所が整備されず、居酒屋などでの投機者の相対取引によっていたため、規制は行き届かなかった。ギャンブル性は増し、正常な現物取引では商品にならない傷み物にまで高値がつくような事態となった。
 球根価格は1636年から急騰した。ところが翌37年、価格は突如暴落する。このわずか一年での急騰暴落の要因とその結果に関しては17世紀という時代柄、データ史料の限界もあり、定説を見ない。
 特に結果に関しては、従来、庶民を含む多くの投機者が一瞬で財産を失い、オランダ経済に大打撃を与えた記録に残る史上初のバブル経済と評されてきたところ、今日の研究によれば、実際に球根先物取引に参加していたのは富裕な商人や職人など限られた中間階層であり、経済全体に及ぼした影響は過大評価できないとされる。
 そのように参入者限定の投機事象だったとするなら、それはそれとして、今日でも一部の個人的投機者の間で発生する信用取引や先物取引における価格暴落事象の先駆けと言えることになるかもしれない。
 また突然の値崩れの要因として、当時のオランダ議会が先物取引の買い手の購入義務を免除し、売り手に対し売買代金の一部支払い義務のみを負わせる規則改正を行なったことで、取引停止に陥った点にも注目されている。こうした政策変更が要因とすれば、それは議会の介入という人為的な要因がもたらした市場の反応だったとも言える。
 こうして、「チューリップ・バブル」は、実は真のバブル事象ではなかったかもしれない可能性が残るわけだが、そうだとしても、この事象は貨幣経済が本質的に持つ投機性の恐怖を17世紀という近代への入り口となる時代に先取りした事例と言えるであろう。

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