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不具者の世界歴史(連載第6回)

2017-03-08 | 〆不具者の世界歴史

Ⅰ 神秘化の時代

盲目の吟遊詩人たち
 人類が神話に包まれていた時代にあって、記録に残りにくい被支配者層の障碍者の存在性の中で、唯一そのありようを垣間見せるのは視覚障碍者である。特に古代ギリシャにその実例が見られる。
 古代ギリシャにおける最高の芸術家であった吟遊詩人は、その多くが盲人であったとされる。中でも巨匠ホメロスである。ホメロスについては、その生存年代すら不詳とされ、実在性を疑う説も強く、その存在自体が伝説的であるが、伝承は一様にホメロスを盲人としている。
 そもそもギリシャ・東欧圏には「吟遊詩人は盲人である」というある種の定式が存在していたようであり、そうした定式の根拠になったのは、実際に視覚障碍者が生計の手段として吟遊詩人となることが多かったという社会的事実であったと考えられる。
 吟遊詩人とは卓上で詩を書く文学者としての詩人とは異なり、旅をしながら詩に節をつけて歌って聴かせる一種の楽師であり、旅芸人でもあった。ギリシャ語で吟遊詩人を意味するアオイドスの原意が歌手であるのは、そのことを示唆する。従って、アオイドスは全盲でも就くことのできる数少ない職業であったはずである。
 そうした社会的事実を基礎に、吟遊詩人=盲人の定式が生まれると、今度はそれが神秘化され、盲人には特殊な能力があるとみなされるようになった。実際、アリストトレスは視覚の喪失と記憶力とを結びつけている。たしかに吟遊詩人にとって、記憶は重要な能力であり、古代ギリシャでは盲目であることは詩人の絶対条件であるとみなす考えすらあった。
 一方で、視覚の喪失は予知能力やより深遠な洞察力といったある種の超能力と結びつけられることもあり、全盲の予言者もいた。また原子論で知られる哲学者デモクリトスがより洞察力を高めるべく自ら目を潰し失明したと伝えられるのも、そうした超能力論を信じた末の自傷行為だったかもしれない。
 ところで、盲人が吟遊詩人となる実例は日本にもあり、琵琶法師がよく知られている。その起源は琵琶の伴奏で経文を詠ずる中国の盲僧(盲僧琵琶)にあるとされるから、中国では視覚障碍者が僧侶となる習慣があったと見られる。
 こうした盲僧琵琶が日本に伝えられると、当初は地鎮祭や竈祓いなどで経文を詠ずる神仏混淆的な儀礼で活動したが、こうした宗教儀礼では盲僧が醸すある種の神秘性が大いに発揮されたのであろう。
 一方では、宗教性を喪失した世俗的な物語を弾き語りする潮流も生まれた。こうした「語りもの」という新ジャンルは経文を詠ずる宗教的な盲僧琵琶と比べ低級とみなされ、「くずれ」とも蔑称されたが、やがてここから平家物語を朗吟して回る平家琵琶が生まれる。
 こうして旅芸人化した琵琶法師は中世の日本において視覚障碍者が生計を立てられる数少ない職業の一つとして確立され、近世日本の独特な盲人階級制度である検校制度にも結びついていくが、これについては稿を改める。

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