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晩期資本論(連載第35回)

2015-03-25 | 〆晩期資本論

七 資本の循環(3)

 資本の三つの循環形式の第三のもの、すなわち商品資本の循環は資本主義的生産様式をまさに特徴づける循環形式であるだけに、そこからより包括的な視座が導き出される。ちなみに、マルクスはこのような包括的な視座の基礎となる商品資本の循環を重農学派ケネーの経済表の基礎に見て、最終的には独自の再生産表式に練り上げている。

・・・この循環(商品資本の循環)そのものが、つぎのようなことを要求するのである。すなわち、この循環を、ただ、循環の一般的な形態として、すなわち各個の産業資本を(それが最初に投下される場合を除き)そのもとで考察することができるような社会的な形態として、したがってすべての個別産業資本に共通な運動形態として考察するだけでなく、また同時に、いろいろな個別資本の総計すなわち各個の産業資本家の総資本の運動形態として考察することを要求する・・・・。

 ここで言う個別資本の総計をマルクスは「社会的資本」と呼ぶ。マルクスは、社会的資本の構成として、資本主義経済で典型的な株式資本に加え、「政府が生産的賃労働を鉱山や鉄道などに充用して産業資本家として機能するかぎりでは国家資本も含めて」観念している。この「国家資本」は国家が鉱業や鉄道などの基幹部門に限って国有企業を保有する混合経済体制で典型的に見られるが、産業全般にわたって国有化する旧ソ連型のいわゆる社会主義体制では、国家資本が全般化された「国家資本主義」として発現する。
 このような社会的資本の運動にあっては、「各個の産業資本の運動はただ一つの部分運動として現われるだけで、この部分運動はまた他の部分運動とからみ合い他の部分運動によって制約されるのである」。

三つの形態を総括してみれば、過程のすべての前提は、過程の結果として、過程自身によって生産された前提として、現われている。それぞれの契機が出発点、通過点、帰着点として現われる。総過程は生産過程と流通過程との統一として表わされる。生産過程は流通過程の媒介者となり、また逆に後者が前者の媒介者となる。

 第一巻段階でのマルクスは、資本の流通をさしあたり形態的に商品変態として把握していたが、第二巻の段階では、「この形態的な面にとらわれないで、いろいろな個別資本の変態の現実の関連を見れば、すなわち、事実上、社会的総資本の再生産過程の諸部分運動としての諸個別資本の諸循環の関連を見れば、この関連を貨幣と商品との単なる形態転換から説明することはできない。」とし、このような資本循環の統一的総過程を、すべての点が出発点であると同時に帰着点でもあるような絶えず回転する円にたとえている。この円環的な「三つの循環のどれにも共通なものは、規定的目的としての、推進的動機としての、価値の増殖である」。

自分を増殖する価値としての資本は、階級関係を、賃労働としての労働の存在にもとづく一定の社会的性格を含んでいるだけではない。それは、一つの運動であり、いろいろな段階を通る循環過程であって、この過程はそれ自身また循環過程の三つの違った形態を含んでいる。だから、資本は、ただ運動としてのみ理解できるのであって、静止している物としては理解できないのである。

 資本の本質について、マルクスは、階級関係の中で剰余労働に対する指揮権という一つの権力として理解する政治学的な把握と同時に、経済学的には価値増殖を動機・目的とした運動とみなす把握を示している。つまり、資本とは、特に法学的な把握において典型的に見られるような静止した資金ではない。

・・・あらゆる価値革命にもかかわらず資本主義的生産が存在しているのは、また存在を続けることができるのは、ただ資本価値が増殖されるかぎりでのことであり、言い換えれば独立した価値としてその循環過程を描くかぎりでのことであり、したがって、ただ価値革命がどうにかして克服され埋め合わされるかぎりでのことである。

 資本主義は周期的な価値革命の継起を特徴とするが、これまでのところ、過去の価値革命は「どうにかして克服され埋め合わされ」てきたので、資本主義はなおも生き延びている。しかし―

価値革命がいっそう急性になり頻繁になるにつれて、独立化された価値の自動的な運動、不可抗力的な自然過程の力で作用する運動は、個々の資本家の予見や計算に反してますます威力を発揮し、正常な生産の進行はますます非正常な投機に従属するようになり、個別資本の生存にとっての危険はますます大きくなる。

 個別資本の競争がグローバルな規模で拡大した晩期資本主義は、価値革命の急性化・頻繁化の時代でもあり、生産活動が株式のみならず、資源のような生産財の投機にも従属し、個別資本の生存の危険が恒常化している。個別資本が総倒れになれば、社会的資本の運動も停止し、資本主義そのものの命脈も尽きることになる。

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